「ただ信仰で」2024.4.21

 

私たちの愛するK姉妹が

天に召されました。

姉妹は、当教会に来られて43年間、

信仰生活を守ってこられました。

5月31日で92歳になられるはずでした。

姉妹は、先週の日曜日の朝、

教会に来て礼拝をささげ、

その日の夜8時ごろ、

静かに息を引き取りました。

奇しくも彼女の洗礼記念日でした。

 

もう会えなくなった寂しさと

悲しさがこみあげてきます。

しかし、彼女は私たちの

心のうちに生き続けています。

天の御国に行かれた今、

愛する夫とともに

最愛の娘さんのために

祈っておられるでしょう。

また、共に信仰生活を

歩んできた兄弟姉妹たちに

「一生懸命主に仕えて、

イエス様をあかしして、

また御国で会いましょう」と

言っておられると思います。

 

今日は、皆さんと共に、

へブル人への手紙の

御言葉を通して

「ただ信仰で」というテーマで、

神様の恵みを共に

分かち合いたいと思います。

 

私たちは、どのようにすれば、

人生で出会う問題と

困難に打ち勝ち、

勝利することができるでしょうか。

それは信仰によって

人生を生きることです。

それでは、信仰とは何でしょうか。

 

1.信仰とは夢みることである

信仰とは、夢を見て期待することが、

すでにかなえられたと信じることです。

「信仰は望んでいる事がらを

保障し、目に見えないものを

確信させるものです。

昔の人々は

この信仰によって称賛されました。」

(へブル人への手紙11:1-2)

 

保証とは、「契約書」や

「権利証書」を意味する言葉です。

契約書や権利証書は

そこに書かれてある内容が

必ずそうなるということを

保証してくれます。

信仰も同じです。信仰とは、

今そうなっていないが、

将来確実に望んでいる

とおりになるということを

信じることであります。

 

また、確信とは「証拠」「信念」

という意味を持つ言葉です。

アブラハムが「望み得ない時に

望みを抱いて信じ(ローマ4:18)」

ように、信仰はまだ見えないものを

見えるもののように

はっきりと信じることです。

 

信仰がある人は、

神が与えてくださる

未来に対する夢を

しっかり握りしめて

現在を生きているので、

どんな苦難にも

打ち勝つことができるのです。

 

2.信仰は御言葉に基づくものである

神は、御言葉で、

天地・宇宙・万物を造られました。

「信仰によって、私たちは、

この世界が神のことばで

造られたことを悟り、

したがって、見えるものが

目に見えるものから

できたのではないことを

悟るのです。」

(へブル人への手紙11:3

 

私たちの信仰の根拠は

神の御言葉です。

「信仰は聞くことによるのであり、

聞くことはキリストの言葉から

来るのである」

(ローマ人への手紙10:17)。

 

御言葉は私たちの人生において

一番大切な恵みと祝福であり、

人生の道案内であります。

「あなたのみことばは、

私の足のともしび、

私の道の光です。」

(詩編119:105)

 

ですから、私たちは、徹底的に

御言葉中心のクリスチャンに

ならなければなりません。

御言葉を信じ、

御言葉を握って主の前に

進み出て祈り、

御言葉と共に歩む

人生にならなければなりません。

 

御言葉を聞き、

御言葉を受け入れ、

御言葉に従順することが

信仰の本質であり、

そのような信仰によって

神は大きなみわざを

なさってくださいます。

 

御言葉を守り、

御言葉を行うとき、

繁栄の祝福がのぞむのです。

「この律法の書を、

あなたの口から離さず、

昼も夜もそれを

口ずさまなければならない。

そのうちにしるされている

すべてのことを

守り行うためである。

そうすれば、

あなたのすることで繁栄し、

また栄えることが

できるからである。」

(ヨシュア記1:8)

 

これは、人間の知恵や力で

なしとげる繁栄ではなく、

神が私たちに恵みとして

与えてくださるものです。

問題がある時、

苦しみに出会った時、

恐れが近づいてくる時、

そういう時こそ

御言葉を握って祈ってください。

イエスはこう言われました。

「あなたがたがわたしにとどまり、

わたしのことばが

あなたがたにとどまるなら、

何でもあなたがたの

ほしいものを求めなさい。

そうすれば、

あなたがたのために

それがかなえられます。」

(ヨハネによる福音書15:7)

 

3.信仰は神様に喜ばれること

神に喜ばれる信仰は、

神が存在することと、

神に祈り求めれば

報いてくださること、

この二つを信じる信仰です。

「信仰がなくては、

神に喜ばれることはできません。

神に近づく者は、

神がおられることと、

神を求める者には

報いてくださる方であることとを、

信じなければならないのです。」

(へブル人への手紙11:6)

 

旧約聖書に出てくるエノクは、

神様を喜ばせる

信仰者であったので、

生きたまま

天国に引き上げられました。

「信仰によって、

エノクは死を見ないように

天に移された。

神がお移しになったので、

彼は見えなくなった。

彼が移される前に、

神に喜ばれた者と、

あかしされていたからである。」

(へブル人への手紙11:5)

 

エノクは生涯、

神と共に歩みました。

「エノクは神とともに歩んだ。

神が彼を取られたので、

彼はいなくなった。」

(創世記5:24)

K姉妹も43年間、

神様と共に歩まれた方です。

人間的に計り知ることの

できないものでありますが、

神様の御心とご計画のうちに

彼女は天に移されたのです。

神様がくださる一番大きな報いは、

神様に出会うことです。

K姉妹は今、神様に出会い、

神のふところの中に

抱かれていると確信します。

 

愛する皆さん、

私たちみんなが夢を持ち、

御言葉に従順し、

神と共に歩む

神に喜ばれる信仰者として

人生を歩むことによって、

神様がくださる大きな祝福を受け、

賜物としての良き人生を

全うされることを願います。

 

そしていつの日か、

神様から「これで良し。来なさい」

と呼ばれたら、

喜びをもって天国に移る

ことができるように、

主の御名によって

祝福しお祈りいたします。

 

以上

 

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