「人生の道を共に歩まれるイエス様」2024.4.7

 

人生にも四季があります。

希望の春、情熱に燃える夏、

収穫の秋、そして苦難の冬。

「天が下のすべての事には季節があり、

すべてのわざには時がある。

泣くに時があり、笑うに時があり、

悲しむに時があり、踊るに時があり」

(伝道の書3:1,4)

と聖書にあるとおりです。

 

今日は「エマオの途上」での

出来事を通して、

人生の下り坂を

どのように歩めばよいのか、

どうすれば困難を

克服できるのかを

学びたいと思います。

 

1.エマオへの道

「この日、ふたりの弟子が、

エルサレムから七マイルばかり

離れたエマオという村へ行きながら、

このいっさいの出来事について

互に語り合っていた。」

(ルカによる福音書24:13-14)

エマオはエルサレムの

北西11キロにある村です。

イエスの二人の弟子が、

エルサレムから

エマオに向かって歩いていました。

「この日」とは、イエス・キリストが

十字架につけられてから

三日目の日曜日です。

イエスが復活したことを

まだ知らない二人は、

主が十字架で処刑され

死んでしまったことに

失望し、落胆して

エマオに向かっていました。

 

2.人生の道を共に歩むイエス様

二人はイエスが

十字架につけられたこと、

墓に葬られたこと、

その墓が空になっていたことを、

ああでもないこうでもないと

話し合いながら歩いていました。

すると、復活したイエスが

現れて近づいて来られました。

 

今も、イエス様は

私たち一人一人のところに

訪ねて来られ、

ともに歩んでくださいます。

苦しむ人と共に

苦しんでくださいます。

病の床にいる方の

そばにおられます。

人生の苦難の道の途上で

イエス様に出会って

いただきたいと心から願います。

 

3.イエスと気づかない二人

「しかし、彼らの目がさえぎられて、

イエスを認めることができなかった。」

(ルカによる福音書24:16)

何によって二人の目が

さえぎられていたのか。

人は、大きな悲しみや

苦しみにあうと、それによって

霊的な目がさえぎられて

主を見失うことがあります。

先週のメッセージで

マグダラのマリヤが

悲しみに打ちひしがれて

イエスに気づかなかったように、

彼らもそうだったのでした。

 

私たちも同じです。

いつもイエス様が

共に歩んでくださっているのに、

その事実を悟ることができず、

暗い現実だけを見て

憂鬱な心で生きています。

長く信仰生活していても、

霊的に目を覚ましていなければ、

否定的な考えにとらわれ、

落胆し、挫折することになるのです。

 

4.二人に語りかけるイエス

イエスは二人に声をかけられました。

「歩きながら互に語り合っている

その話は、なんのことなのか」。

彼らはイエスと気づかないまま、

なかばあきれたようにこう答えます。

「あなたはエルサレムに

泊まっていながら、

あなただけが、

この都でこのごろ起ったことを

ご存じないのですか」。」

(ルカによる福音書24:17-18)

 

そして、二人は都で起きた出来事を、

イエス様に話して聞かせます。

「ナザレのイエスのことです。

あのかたは、

神とすべての民衆との前で、

わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、

祭司長たちや役人たちが、

死刑に処するために引き渡し、

十字架につけたのです。

 

わたしたちは、

イスラエルを救うのは

この人であろうと、

望みをかけていました。

しかもその上に、

この事が起ってから、

きょうが三日目なのです。

 

ところが、わたしたちの

仲間である数人の女が、

わたしたちを驚かせました。

というのは、

彼らが朝早く墓に行きますと、

イエスのからだが見当らないので、

帰ってきましたが、

そのとき御使が現れて、

『イエスは生きておられる』

と告げたと申すのです。

それで、わたしたちの仲間が数人、

墓に行って見ますと、

果して女たちが言ったとおりで、

イエスは見当りませんでした」。

(ルカによる福音書24:19-24)

 

5.聖書を説明するイエス様

「そこでイエスが言われた、

「ああ、愚かで心のにぶいため、

預言者たちが説いた

すべての事を

信じられない者たちよ。

キリストは必ず、

これらの苦難を受けて、

その栄光に入るはず

ではなかったのか」。

こう言って、モーセや

すべての預言者からはじめて、

聖書全体にわたり、

ご自身について

しるしてある事どもを、

説きあかされた。」

(ルカによる福音書24:25-27)

イエスは二人に、

旧約聖書全体の中から、

イエスについての預言の言葉を

丁寧に説明なさいました。

そして、彼らはイエスの話を

聞きながら歩き、

日が暮れるころに

エマオに着きました。

 

6.彼らの目が開かれた

先に進もうとするイエスを

二人は引き止めて、

同じ宿に泊まりました。

そして夕食の席で

二人の目が開かれ、

イエスと気づきました。

「イエスはパンを取って祝福し、

裂いて彼らに渡された。

それで、彼らの目が開かれ、

イエスだとわかった。

するとイエスは、

彼らには見えなくなった。

 

そこでふたりは話し合った。

「道々お話しになっている間も、

聖書を説明してくださった間も、

私たちの心はうちに

燃えていたではないか。」」

(ルカによる福音書24:30-32)

すぐさま二人は

エルサレムに取って返し、

他の弟子たちに

イエスの復活を報告したのでした。

 

7.最後に

(1)教会から離れないこと

二人の弟子は

イエスが死なれたことに失望して

エルサレムを離れました。

エルサレムは

神の宮のあるところです。

私たちは、

礼拝を捧げる場所から

離れてはなりません。

困難にあったときに

失望して教会から遠ざかることは、

人生の下り坂を進むことです。

教会中心、神様中心の

生活を続けてください。

そうすれば必ず困難を

克服する道が開かれます。

 

(2)御言葉の力

イエスが語られた御言葉によって、

二人の霊の目は開かれ、

そして心が熱くなりました。

御言葉には私たちを回復させ、

人生を祝福に導く力があります。

御言葉を聞くとき

私たちの心は燃えます。

今も主は聖書を通して

私たちに語っておられます。

 

(3)聖霊の助け

聖霊は、御言葉を通して

進むべき道を教え、

勝利に導いてくださいます。

どうすればよいか分からない時、

聖書に親しむなら、

助け主である聖霊は働かれます。

聖霊様充満を受けてください。

人生の下り坂から反転し、

上へ上へと昇っていく

ことができるでしょう。

 

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