「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」2024.3.31

 

1.泣いていたマリヤ

今日はイースター(復活祭)です。

イエス様は全人類の罪を背負って

十字架にかかられ、

死んで墓に葬られ、

三日目に復活されることで

救いの道を開いて下さいました。

 

イエスが亡くなったのは金曜、

そこから三日目にあたる

日曜の早朝、

マグダラのマリヤは、

イエスがおさめられた

墓に行きました。

ところが、墓の中には

イエスの遺体はありませんでした。

復活されていたのです。

 

マリヤは墓の前で泣きました。

彼女にとってイエスは

命を救ってくれた恩人でした。

イエスに出会う前の彼女は、

七つの霊に取りつかれ、

正気ではありませんでした。

人々は彼女を見下し、嘲笑い、

家族からも見捨てられました。

 

ところがある日、

イエスが訪ねてこられ、

悪霊を追い出してくださり、

マリヤは新しい人生を

歩みだしたのです。

その時からマリヤは、

真心をもってイエスに仕えました。

イエスが十字架につけられた時も、

弟子たちはイエスを見捨てて

逃げ去りましたが、

彼女はゴルゴダの丘で

イエスの最期を見守りました。

 

そのようなイエスが

十字架につけられ殺され、

そのうえ遺体まで消えて、

大きなショックを受け、

彼女は悲しみの中で

涙を流していたのです。

 

2.名を呼んでくださるイエス様

そんなマリヤに、

誰かが声をかけました。

「なぜ泣いているのですか。

だれを捜しているのですか。」

(ヨハネによる福音書20:15)

それは、復活されたイエスでした。

 

生きていれば、

様々な問題にぶつかります。

孤独な夜を迎えなければ

ならないときもあるでしょう

そのような時イエス様は、

絶望の涙を流すあなたに

こう聞かれます。

「なぜ泣いているのですか。

だれを捜しているのですか。」

 

人々は希望などないと語ります。

しかし、イエス・キリストの内にある

わたしたちには、

永遠の命の希望、

復活の希望があるのです。

 

問題は、そばにきておられる

イエス様を見つけることが

できないことだけです。

マリヤもそうでした。

声の主がイエスであることが

分からなかったのです。

「うしろをふり向くと、

そこにイエスが立って

おられるのを見た。

しかし、それがイエスであることに

気がつかなかった。」

(ヨハネによる福音書20:14)

 

マリヤは直接イエスを見ているのに

そうと気づきませんでした。

悲しみと絶望が、

彼女の心の扉を閉め、

霊的な目をふさいでしまったのです。

私たちも霊的な目が暗くなると、

すぐそばにいるイエス様に気づきません。

 

しかしイエス様は、

そんな私たちの名前を

呼んでくださいます。

「イエスは彼女に

「マリヤよ」と言われた。

マリヤはふり返って、

イエスにむかってヘブル語で

「ラボニ」と言った。

それは、先生という意味である。」

(ヨハネによる福音書20:16)

イエスが「マリヤよ」と名を呼ばれたとき、

マリヤの霊的な目が開かれ、

イエスであることに気がつきました。

 

主は、私たちが絶望におちて

人生に疲れ切っているとき、

あなたの名前を呼んでくださいます。

 

3.悲しみの場所から離れよ

そして、イエスは、

マリヤにやさしくこう語りかけました。

「わたしにすがりついていては

いけません。

わたしはまだ父のもとに

上っていないのです。

わたしの兄弟たちのところに行って、

『わたしは、わたしの父であり、

あなたがたの父である方、

わたしの神であり、

あなたがたの神である方のもとに上る。』

と伝えなさい。」

(ヨハネによる福音書20:17)

 

私たちはもはやこれ以上

絶望の墓の前で

立ち止まっていてはいけません。

悲しみの場所から離れてください。

私たちには、

この世において果たすべき

使命が与えられているのです。

私たちは神が与えてくださった

復活の希望のメッセージを

家族や隣人に

伝えなければなりません。

 

アメリカでもっとも有名な

ビリー・グラハム牧師は、

こう言われました。

「ビリー・グラハムが死んだと

新聞が報じても、

どうか信じないで下さい。

私は死ぬのではありません。

永遠の御国に移されるだけです。」

 

みなさん、キリスト教は、

お墓の宗教ではありません、

命の宗教であり、

復活の宗教です。

私たちはきリストを通して

永遠の命へと導かれているのです。

この素晴らしい恵みの福音を、

私たちは隣人に伝える使命が

与えられているのです。

 

4.最後に

アメリカの有名な賛美歌作家の

チャールズ・オースティン・マイルズが

作詞作曲した讃美歌を

みなさんと歌いたいと思います。

 

この賛美歌は、

マイルズの親しい友人が事故で亡くなり、

悲しみにくれる友人の妻をなぐさめようと

作った曲です。

彼女は幼い時、

両目の視力を失いましたが、

信仰の篤い男性に出会い

結婚して幸せな家庭を持ちました。

ところが、ある日突然、

夫が勤める製鉄会社が

爆発事故を起こし、

命を落としたのでした。

 

どうすれば、彼女を慰める

ことができるだろうかと

マイルズは考えました。

そして祈りの中で、

マグダラのマリヤが

イエスの墓の前で

泣いている姿を思い起こし、

彼女の悲しみをそこに重ねて

詞を書きました。

それが有名な「In the garden」

という賛美歌です。

 

みなさん、絶望の園で

ひとり泣いているとき、

主がそばに来られ

あなたの名を呼んでおられることを

忘れないで下さい。

マグダラのマリヤが、

主の御声を聴いた姿を

思いめぐらしながら、

マイルズがつくった

この讃美歌を共に歌いましょう。

 

I come to the garden alone

While the dew is still on the roses

And the voice I hear falling on my ear

The Son of God discloses

私はひとり園に来た

バラの花に露が残っている

神の御子の御声が

私の耳に聞こえてくる

 

And He walks with me

And He talks with me

And He tells me I am His own

And the joy we share as we tarry there

None other has ever known

主は私と共に歩み、

主は私と語り、

あなたは私のものだと言ってくださる

私たちはそこで喜びを分かち合う

誰も知らねど

 

He speaks, and the sound of His voice

Is so sweet, the birds hush their singing

And the melody that He gave to me

Within my heart is ringing

主の御声はとても優しく、

鳴く鳥を静める。

主が私にくださった旋律は

私の心の中で鳴り響いている

リフレイン

 

I stayed in the garden with Him

Though the night all around me is falling

But He bids me go, through the voice of woe

His voice to me is calling

夜になっても園にとどまり

主と一緒にいたかったけれど

主はわたしに行けと命じられた

悲しむ声のする方へ行きなさいと

主の御声が私を呼んでいる

リフレイン

 

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