「神様が共におられる人」2024.3.17

 

1.夢見る人ヨセフ

アブラハムの孫にあたるヤコブには、

12人の息子がいました。

ヨセフはその11番目で、

父ヤコブに特別に愛されて育ちました。

そのため彼の兄たちからは、

ねたまれ、憎まれるようになります。

 

ヨセフは夢を見る人でした。

信仰もって偉大な人になる

夢を見ました。

 

ある日、ヨセフは不思議な夢を見ました。

畑で束(たば)をたばねていると、

ヨセフの束が立ち上がり、

その周りで兄たちの束が

ヨセフの束におじぎをしたのです。

彼は、兄たちに、

自分が見た夢の話をしました。

それを聞いた兄弟たちは、

お前は私たちを治める

王となるつもりなのかと

ヨセフを憎みました。

 

その後、兄たちのヨセフへの

怒りはどんどん大きくなり、

彼を殺そう思うようになりました。

そして、ある日、

兄たちはそれを実行に移しました。

「あの夢見る者がやって来る。

さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、

悪い獣が彼を食ったと言おう。

そして彼の夢がどうなるか見よう」。

(創世記37:19-20)

 

みなさん、私たちが、

信仰によって聖なる夢を見るとき、

その話をきいた周りの人は、

「それはたわごとだ」と

言うかもしれません。

あるいは、あなたをねたみ、

害を与えようとするかもしれません。

しかし、夢見る人の前途は、

誰もさえぎることはできません。

主がその人と共におられるからです。

夢は、主の時に、必ず成就します。

 

ですから、私たちは、

主にある聖なる夢を見て

信仰で前進する人に

ならなければなりません。

そのような人に、

神様の驚くべき恵みと祝福と

病のいやしがあります。

祈りがこたえられます。

夢が、神様が備えてくださった

祝福の未来へと導くのです。

夢が、奇跡を作り出すのです。

 

2.苦難を克服したヨセフ

夢が成就する過程には、

苦難が伴います。

何の苦労もなく、

夢見た通りになれば、

どんなにいいでしょう。

けれども、現実は、

そうではありません。

ヨセフは、兄たちに殺されかけ、

命は助かったものの、

エジプトへ奴隷として売られました。

 

しかし、奴隷生活をしながらも

ヨセフは神が与えて下さった夢を

捨てませんでした。

つらく苦しい状況の中でも、

神は、夢を見るヨセフと共におられ、

彼を祝福し、彼と共にいた人にも

その祝福は及びました。

ヨセフの主人は、

神がヨセフと共にいるのを知り、

ヨセフに家の全てを任せました。

「主がヨセフとともにおられたので、

彼は幸運な人となり、

そのエジプト人の主人の家にいた。

彼の主人は、

主が彼とともにおられ、

主が彼のすることすべてを

成功させてくださるのを見た。」

(創世記39:2-3)

 

ところが、そんなヨセフに

また苦難が訪れます。

主人の妻がヨセフをワナにかけ、

ヨセフは濡れ衣を着せられて

監獄に入れられたのです。

 

けれども、監獄はヨセフの体を

閉じ込めることはできても、

彼の夢を閉じ込めることは

できませんでした。

神様が共にいたので、

監獄の中でも、

彼は祝福されました。

監獄の長から信頼を得て、

囚人たちの管理を任されたのです。

主が共におられるゆえに

監獄に閉じ込められても、

彼は栄えを得たのです。

 

みなさん、一度きりの人生です。

夢を見てください

年齢は関係ありません

「もう、わたし80よ。

夢はありません。」と耳にすると、

いつ死んでもいいと

言っているように聞こえます。

若い人も、100歳の人も、

いくつになっても夢は

見ることができます。

私は最近お年をめした方に、

「ゆっくりしてくださいね」

などと言わない方がいいのでは?

そのような言葉は、その方の人生に、

マイナスになるのでは?

と思っています。

だから私自身は近頃では、

今「47歳です」と言っています。

あと50年は大丈夫だと(笑)。

そんな夢を見て、

私はまだまだ元気だと言い聞かせて、

一週間、一週間を、生きています。

 

夢を現実化するには、

チャレンジが必要です。

あきらめてはなりません。

どんな苦難が来ても、

ヨセフのように主を信頼して

進まなければなりません。

神様の内にあって夢を見るとき

驚くべき恵みを祝福があらわされます。

 

3.ゆるしと寛容の人ヨセフ

ヨセフが監獄に入れられてから

何年かたったころ、

エジプトの王ファラオが

夢を見ました。

同じような夢を2度も見たので

心が騒ぎ、

占い師や知恵者を集めて

夢の意味を知ろうとしましたが、

誰も説明できません。

 

そのとき、王の献酌官長が、

あることを思い出しました。

この献酌官長は、一時、

王の怒りを買って

監獄に入れられていたのですが、

そのとき同じ牢にいたヨセフが

彼の夢を解き明かしてくれて、

あなたは監獄を出るでしょうと

言われたそのとおりに

牢から出され、

再びファラオに仕えるように

なったのです。

 

その時、ヨセフは、

あなたが復職したあかつきには、

ヨセフという青年が無罪なのに

拘留されているので、

出られるようにしてほしいと、

王に進言するよう

頼んでいたのですが、

この献酌官長は

それをすっかり忘れて

しまったのでした。

 

しかし、それでも

ヨセフの夢は消えませんでした。

そして、王の夢を解き明かすという

チャンスがめぐってきたのです。

献酌官長はヨセフのことを思い出し、

王にヨセフなら夢を解き明かす

ことができると進言しました。

 

ヨセフは監獄から出され、

王の夢を解き明かしました。

王はヨセフの言葉に感心し、

こう言いました。

「神がこれらすべてのことを

あなたに知らされたのであれば、

あなたのように、さとくて

知恵のある者はほかにいない。

あなたは私の家を治めてくれ。

私の民はみな、

あなたの命令に従おう。

私があなたにまさっているのは

王位だけだ。

さあ、私はあなたに

エジプト全土を支配させよう。」

(創世記41:39-41)

 

ヨセフの夢は成就しました。

17歳で奴隷に売られ、

30歳でエジプトの地を監督する

総理大臣に出世したのです

 

ヨセフは地位と権力を得ても、

自分を苦しめた献酌官長に

懲罰を与えませんでした。

また、のちになって飢饉のために

エジプトまで助けを求めてきた

彼の兄たちにも

復讐することはありませんでした。

 

私たちも過去に自分を

傷つけた人を罰するのではなく、

ゆるし、愛する寛容を持つべきです。

夢を見る人は過去にしばられて

生きるのではないからです。

 

田原米子さんの話を

したいと思います。

彼女は17歳の時、

最愛の母が病気で

亡くなったことがきっかけで、

「人は何のために生きるのか」

と悩み、何をしても虚しく、

すべての解決は死ではないか

と考えるようになりました。

そしてとうとう鉄道自殺を

はかってしまいました。

 

ところが、

事故後の適切な処置によって、

米子さんは一命をとりとめます。

けれども、彼女は両足と左腕、

それに右手の2本の指を

失ってしまい、

右手の指が3本残っているだけの

体となってしまいました。

 

どうして死なせてくれなかったんだ、 

神も仏もあるものかと、

彼女を責めることなく優しく

接してくれた家族にさえ

八つ当たりをする日々が続きました。

 

そんなある日、

アメリカ人宣教師と、

その通訳の田原という神学生が

病院に訪ねてくるようになりました。

宗教には関心がなく、むしろ

毛嫌いしていた米子さんは、

二人を全く受け入れようと

しませんでした。

 

しかし、お説教することもなく、

自分を問い詰めることもなく、

いつも変わらず、

何を聞いてもはぐらかさず、

正面から彼女を受け止める態度に、

この人たちは違うと思うようになり、

二人と接していると、

心が安らぐようになっていきます。 

 

そして、この人達が信じているものは、

もしかしたら本物かもしれない、

違うなら、

もともと私は死ねばいいのだ。

でもそれが本物だったら、

キリストが人生に関わってくれて

本当に私を変えてくれるなら、

これに賭けてみよう。

そう思うようになりました。

 

二人はテープレコーダーを持参して

メッセージを聞かせてくれました。

それを聞いて、米子さんは、

やりなおしてみようと思いました。

祈るようにすすめられ、

祈り方が分かりませんでしたが、

このまま手足が無いまま

可愛そうがられて生きるなら

死んだほうがましだ、

お腹のそこから笑うような

生き方をしたい。。

そう思った瞬間に、

図らずも「助けてください」と

口に出したとたん、

涙が出てきて、田原さんが、

「それが祈りですよ

心の叫びを聞かれる方だから

それでいいんですよ」

と言ってくれました。

 

その夜、ふだんとは違い、

ぐっすり眠ることができました。

朝、目覚めて、

枕もとに置いてあった聖書を見つけ、

手に取ってページをぱらぱらと

めくっていたら、次の御ことばが、

彼女の目に飛び込んできました。

後に、「この言葉が、

私の人生を決めてくれた、

これで行こうと決着して、

後ろを振り向かない

人生にした言葉です。」

と言っておられます

「だれでもキリストにあるならば、

その人は新しく造られた者である。

古いものは過ぎ去った、見よ、

すべてが新しくなったのである。」

(コリント人への第2の手紙5:17)

 

「すべて」が新しくなった?

「見よ」って何を?

「誰でも」って私も入っているのかしら?

米子さんは、

この言葉を反芻しながら、

自分の手を見て

こう思ったそうです。

「古いものが過ぎ去ったって

このことじゃないかしら。

指は生えてこないし、

腕は伸びてこない。

それを求めても行きづまるだけ。

そう、3本「しか」じゃなくて、

3本「も」ある。」

 

彼女は変えられました。

肯定的で積極的な

思考に変わりました。

「もう後もどりはできない。

過去に生きるのはやめよう。

親指と中指と人差し指が

無傷で残っているのだから。」

そう思ったら、

何かできるんじゃないかしら、

鉛筆を持てるじゃないかなと、

看護士さんに持ってきて

もらったそうです。

 

鉛筆を持てたら嬉しくて、

彼女は聖書の箇所に、

線を引きました。

「この生き方だ、外は同じ、

でも内側が全く新しくなった。

今までと同じ人間ではない。

新しい人生がはじまったんだ。

そう思ったときに、

無いものを数えない人生、

有るものを見て喜ぶ人生が

始まったんです。

神がいるかどうか見せてみろ、

というような気持ちはなくなり、

自分は生かされたんだ、

助けられたんだ、

ありがとう、ごめんなさい。

という気持ちが出たら、

とても豊かになりました。

3本もあるんだ、あれもできる、

髪も結える、歯も磨ける、

爪切りもできる、編み物もできる、

きりがないほどできることがある

と気づいて、

気持ちが豊かになりました。」

 

このように変えられた姿を見て、

通訳で神学生の田原さんは、

米子さんに結婚を申し込みました。

彼女は断りましたが説得し、

二人は結婚しました。

やがて娘を産み、

幸せな家庭を築き、

二人で神様の福音を伝えました。

 

みなさん、夢を見てください。

指があり、両足があり、腕もあり、

健康な体を持っていながら

夢を見ないのはとても残念です。

米子さんは生きるって素晴らしいと

言っておられます。

 

私には弟がいます。

彼は子どものころは、

不登校で中学生になるまで

字を読めませんでした。

学校の先生からは、

知的障がいがあるので

支援学校に行くべきだと

たびたび言われました。

しかし、母は「神様の子どもが

このまま人生を終わることは

絶対にない」と言っていました。

周りはみな「それはありえない」

と思っていました。

母は、よく弟の手を取って祈りました。

彼の将来を夢見ていました。

そして、

弟は立派に成長し、

今ではアメリカの大手企業の

役員をしています。

 

わが子のことで悩んでいる人は、

絶対にあきらめないでください。

神の子どもが、そのままで

終わるはずがありません。

夢見る人は、

素晴らしい人生を

歩むように必ずなります。

たどり着くまでには

壁があるかもしれません。

しかし、あきらめなければ、

夢は、神様が、

必ず成就させてくださいます。

 

(田原米子「神に生かされて」 ラジオ『心の時代』)

https://www.youtube.com/watch?v=PhQm0ft1N9U&t=2058s

 

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