「勝ち得て余りがある」2024.2.25

 

イエス・キリストを信じていても、

人生よいことばかりではありません。

私たちクリスチャンにも、

苦難は例外なく近づいて来ます。

 

使徒パウロは、

キリストの福音を伝えている、

という理由だけで、

多くの苦難を受けました。

 

彼は自身が受けた苦難を、

次のように語っています。

「苦労したことはもっと多く、

投獄されたことももっと多く、

むち打たれたことは、

はるかにおびただしく、

死に面したことも

しばしばあった。

ユダヤ人から

四十に一つ足りないむちを

受けたことが五度、

ローマ人に

むちで打たれたことが三度、

石で打たれたことが一度、

難船したことが三度、そして、

一昼夜、海の上を

漂ったこともある。

幾たびも旅をし、川の難、

盗賊の難、同国民の難、

異邦人の難、都会の難、

荒野の難、海上の難、

にせ兄弟の難に会い、

労し苦しみ、

たびたび眠られぬ夜を過ごし、

飢えかわき、

しばしば食物がなく、

寒さに凍え、

裸でいたこともあった。」

(コリント人への第二の手紙11:23-27)

 

しかし、パウロは、

どんな苦難の中にいても、

イエス・キリストを信じる

信仰によって勝利しました。

彼は力強く宣言しています。

「だれが、キリストの愛から

わたしたちを離れさせるのか。

患難か、苦悩か、迫害か、

飢えか、裸か、危難か、剣か。

しかし、わたしたちを

愛して下さったかたによって、

わたしたちは、

これらすべての事において

勝ち得て余りがある。」

(ローマ人への手紙8:35、37)

 

人から受ける非難の言葉、

嘘の言葉、

耐え難い心の苦痛、

不当な扱い、

真っ裸にされるような恥、

剣(=命の危険)、

私たちは、これらの苦難を

全て避けて通ることはできません。

 

しかし、パウロは、

自分を愛してくださった

イエス・キリストによって、

これらすべてに勝利したと、

しかも単に勝利したのではなく、

「勝ち得て余りがある」

「私たちは圧倒的な勝利者です」(新改訳聖書)

と強く宣言しています。

 

ですから、いかなる苦難が来ても、

落胆しないで、

イエス様を見上げてください。

そうすれば、私たちを愛してくださる

イエス・キリストによって、

圧倒的に勝利することができます。

 

私たちがまだ罪びとであったとき、

イエス・キリストは、

私たちの罪をあがなうために

十字架にかかってくださいました。

このキリストの愛が、

私たちをとらえているのです。

どのような苦難も、

キリストの愛から、

私たちを引き離すことは

絶対にできないのです。

「わたしは確信する。

死も生も、天使も支配者も、

現在のものも将来のものも、

力あるものも、

高いものも深いものも、

その他どんな被造物も、

わたしたちの

主キリスト・イエスにおける

神の愛から、

わたしたちを引き離す

ことはできないのである。」

(ローマ人への手紙8:38-39)

 

ジョセス・スクライヴェンという人を

ご存知でしょうか。

彼は1819年、アイルランドの

ダブリンで生まれました。

裕福な家庭で育ち、

名門のトリニティ大学を卒業、

卒業後は、ダブリンの郊外にある

教会の牧師に就任しました。

 

そして、すばらしい女性と出会い、

婚約しました。ところが、

大きな悲劇にあいました。

結婚式の前日、

婚約者が事故で亡くなったのです。

深い悲しみの中で神の導きを祈り、

彼はカナダへの移住を決め、

オンタリオ州ポート・ホープで

生活を始めました。

 

その後、彼は再び素敵な

女性と出会い、二人は結婚

することになりました。

ところが、その婚約者も、

結婚式の直前に、

病気で亡くなったのです。

 

ジョセフは、二度も

婚約者に先立たれる

悲しみを経験しました。

深い悲しみの中で神に祈り、

そして、神からの慰めと平安が

与えられました。

 

ある日、アイルランドに住む

母親が病気になったという

知らせが届きました。

彼は神様の前に祈りました。

「神様、私は婚約者を失い、

孤独になりましたが、

私以上に孤独な母親の

友人になってください。

母をいやし、

心を慰めてください。

私も孤独な人々の友人に

なって生きます。

主だけのために、

一生を生きていきます。」

 

祈っている時に、

主の慰めが彼にのぞみました。

自分は孤独ではなく、

主が共におられ、

母親も主が共におられ

守ってくださるということを

さとりました。

そして、主の恵みに

あまりにも感謝して、

母親に送る手紙の中に、

ひとつの詩を書きました。

それが有名な賛美歌312番

「いつくしみふかき」となったのです。

 

いつくしみ深き 友なるイエスは

罪 とが 憂いを とり去りたもう

こころの嘆きを 包まず述べて

などかは下ろさぬ 負える重荷を

 

いつくしみ深き 友なるイエスは

われらの弱きを 知りて憐れむ

悩みかなしみに 沈めるときも

祈りにこたえて 慰めたまわん

 

いつくしみ深き 友なるイエスは

かわらぬ愛もて 導きたもう

世の友われらを 棄て去るときも

祈りにこたえて 労りたまわん

 

ジョセフは、その言葉どおりに、

生涯、貧しい人々や、

病気の人々の生活を支えました。

自分は質素な生活をし、

年老いた人のために薪を切ったり、

貧しい人に衣服や食物を与えました。

やがて彼は、

「ポート・ホープの良きサマリヤ人」と

呼ばれるようになりました。

 

「七転び八起き」という

日本のことわざがあります。

これは聖書に由来する言葉です。

「正しい者は七たび倒れても、

また起きあがる」(箴言24:16)

 

みなさん、倒れても倒れても、

信仰で立ち上がり、

信仰で前進してください。

私たちは圧倒的な勝利者です。

どのような苦難もキリストの愛から

私たちを引き離すことはできません。

あなたは決して孤独ではなく、

友なるキリストが共におられます。

 

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