「良き牧者となられるイエス様」2022.12.4
1.乏しい人生
今日、多くの人々が、
「私の人生には何かが足りない」
と感じて生きています。
時間も足りないし、物質も足りない。
愛されていない。希望もない。
一生懸命、働いて満たそうとしても、
いつも足りないことばかりであると。
人によって願うことは違いますが、
足りないところのない生活を
している人はいません。
誰もが疲れ、重荷を背負ったまま
人生を生きているのです。
しかし本来、神様が造られた世界は、
足りないところのない世界でした。
神様は天と地と海を造り、
すべての植物と生き物、
そして人間を造られました。
神様はご自分が造られた世界を見られ、
「よしとされた」「非常によかった」と、
聖書に記されています。
そのようにして神はお造りになった
すべてのものをご覧になった。
見よ。それは非常によかった。
こうして夕があり、朝があった。
第六日。こうして、天と地と
そのすべての万象が完成された。
(創世記1:31、2:1)
2.盗み殺し滅ぼそうとする悪魔
悪しきものは目に見えませんが、
実際、私たちの人生に近づき、
盗み、殺し、滅ぼそうと、
私たちを取り囲んでいます。
これは悪魔が最初の人間である
アダムとエバをそそのかして
罪をおかすようにしたためです。
絶対主権者である神様につかえるときは、
全世界に秩序がありましたが、
人が罪をおかして神様から離れると、
この世が貪欲で満ちるようになり、
強いものが弱いものを押さえつける、
力で現状を変えようとする、
弱い者のすべてを奪い取ろうとする、
そのような憎しみと争いが絶えない
無秩序な世界になってしまいました。
これが私たちが今生きている世界なのです。
イエス様はこう語られました。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、
滅ぼしたりするためにほかなりません。
わたしが来たのは、
羊たちがいのちを得るため、
それも豊かに得るためです。
(ヨハネ10:10)
ある新婚夫婦が、
一通の手紙を受けとったのですが、
その中に高額なコンサートチケットが
2枚と美しいカードが入っていました。
送り主は書かれておらず、
「誰が送ったのか調べてみてください」
とだけ書いてありました。
誰が送ってくれたのかは
分かりませんでしたが、
二人は感謝してコンサートに出かけました。
ところが、なんと言うことか、
その間に泥棒が入り、
貴重品をすべて盗んでいったのです。
玄関にメモが置いてありました。
「私が誰か分かりましたね。」
みなさん、家に泥棒が入れば、
貴重なものを全て奪っていくように
悪魔は神様が下さった良いものを
すべて奪っていきます。
ゆえに、盗んだり、殺したり、
滅ぼさせたりする悪魔の支配を受け、
その束縛の中で生きれば、
罪とけがれの中で生きるようになり、
あらゆる病気と苦しみにあい、
貧しさとのろいが満ちている人生を歩み、
最後には永遠の滅びにおちていく、
虚しい人生の結末を迎えるのです。
3.いのちを下さったイエス様
悪魔は私たちのところに来て、
盗んだり殺したり滅ぼそうとしたりするが
イエス様は私たちのところに来て
いのちを与えてくださいます。
それも豊かに持つようにして下さるのです。
わたしが来たのは、
羊たちがいのちを得るため、
それも豊かに得るためです。
(ヨハネ10:10)
イエス様は私たちを羊に、
ご自身を羊を守る良き牧者に、
たとえられました。
羊は、牧者がいてこそ、
無事に生きることができます。
羊は臆病で力がなく、狼に襲われたら、
ひとたまりもありません。
また視力が弱いので迷子になったり
がけの下に落ちてしまいます。
イエス様に出会えなかった人は、
牧者のいない羊と同じです。
まことの義と平安と喜びがありません。
いくら金銭的にめぐまれたとしても、
そのたましいに安息がなく、
むなしい、むなしいと言って、
人生を終えていくのです。
しかし、私たちには、
牧者であるイエス様がおられます。
イエス様は、こう語られました。
わたしは、良い牧者です。
良い牧者は羊のために
いのちを捨てます。
(ヨハネ10:11)
イエス様は十字架の上で体を裂かれ、
血を流して死なれたことにより、
私たちを罪から救ってくださったのです。
また、イエス様はこう語られました。
わたしは門です。だれでも、
わたしを通って入るなら救われます。
また出たり入ったりして、
牧草を見つけます。
(ヨハネ10:9)
牧者が、羊に、豊かな牧草を
食べさせるように、
イエス様は、私たちに、
私たちのたましいが幸いを得て、
すべての点で幸いを得て、
また健康に生きられるように
してくださいます。
そのように主は願っておられるのです。
あるおばあさんが、一生かけて貯めた
お金で豪華クルーズ船にのって、
世界一周をすることにしました。
しかし、チケットを買うと、
残りのお金がほとんどなかったので、
他の人が豪華な料理を楽しんでいるときに、
パンやラーメンで食事をすませました。
旅を終えて船が港に着いたとき、
船長が来てあいさつしました。
「幸せな旅でしたか?」
「はい、でもお金が足りなくて、
パンとラーメンしか食べられず、
それが大変でした。」
すると船長は驚いてこう言いました。
「あなたが買ったチケット代には、
食事代が含まれているのを、
ご存知なかったのですか!?」
ところが、みなさん、このような人が、
クリスチャンの中にもたくさんおられます。
神様が私たちに永遠の命だけでなく、
豊かな蜜を食べさせてくださる
ということを知らずに生きています。
ですからイエス様を信じても、
いつも乏しい、貧しい人生を歩み、
早く死んで神様のところに行きたいわと
口にする人もいます。
牧者であったダビデは、神様が、
食べさせ養って下さる方であることを、
よく知っていました。
だからこのように告白したのです。
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを
正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
(詩篇23:1-4)
ある聖徒が手術を受けることになり、
祈ってもらうために牧師のところに来て、
「私は大丈夫です、恐ろしくありません」
と言いながら、恐れに体を震わせていました。
そこで牧師は、こう言いました。
「そのようにすればするほど、
さらに恐れるようになります。
詩篇23編を暗唱してください。
そして、手術室は、
主が私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われ、
私のたましいを生き返らせるために
恵みを注いで下さる場所だと考えてください。」
多くの人は病に伏し、苦しむとき、
嘆き、悲しみ、不安感にとらわれます。
「主よ、私がこころみにあったのは良いことです、
あなたのおきてを学ぶことができたからです。
主よ、あなたはいま私が病床についているけれども、
これは、この手術を通して私を回復させ、
いやしてくださるために用意されたものであります、
主よ、信じます、どうか回復させてください」
そのように考え、主の前に祈り、
告白するならば、主は私たちが、
死の陰の谷におちていっても、
そこから私たちを引き揚げてくださり、
人生を回復させてくださいます。
そして、「私は、いつまでも、
主の家に住まいましょう。」(詩篇23:6)と
主に感謝を捧げることができるように
してくださるでしょう。
みなさん、困難が近づいてくるとき、
問題だけを考えれば、さらに不安になり、
恐ろしくなります。
しかし、私たちの牧者である、
主だけを考えれば、寝床に着くとき、
不安と恐れが入ってくることはなく、
平安がやどります。
ですから、不安や恐れが近づいてきて
眠れないようにするときは、
寝床につくやいなや聖書を暗唱してください。
神様の御言葉を暗唱すれば、
恐れは消え去り、主ご自身が、
その御言葉を通して、
皆さんの内に働かれるのです。
子どものとき、鳥のヒナを育てていました。
母鶏がヒナをひきいて庭を歩きながら、
虫を取って食べたりしますが、
猫が近づいてくれば、
母鶏が「ククク! ククク!」と叫びます。
するとヒナは素早く走ってきて、
母鶏の下にもぐりこみます。
そして母鶏は必死で猫と戦います。
猫は何もできず行ってしまいます。
またカミナリが鳴り、大雨が降るときにも、
ヒナは母鶏の羽の下にかくれます。
そうすれば安全だと信じているのです。
私たちも苦しみにあったときには、
神様を探し求めなければなりません。
いくら狼狽し、絶望しても、
困難と苦しみの中にいたとしても、
十字架の下に入れば、
イエス様を通して、豊かないのちを得て、
人生を歩んでいくことができます。
みなさん、イエス様が、
私たちの牧者になられます。
ゆえに、いつも肯定的な信仰を、
持たなければなりません。
否定的な考えが内に満ちていれば、
神様は助けることができません。
十字架を見上げて肯定的な考えを持ち、
夢を持って信仰で宣言して進み行くとき、
豊かな恵みを与えてくださるのです。
イエス様はこう言われました。
父がわたしにお与えになる者はみな、
わたしのところに来ます。
そしてわたしのところに来る者を、
わたしは決して捨てません。
(ヨハネ6:37)
罪と不義でみにくく、
捨てられて当然の私たちを、
十字架の下に来れば、
十字架から満ち溢れるゆるしが
すべての罪を洗い清め、
義なる人としてくださるのです。
また、十字架の下に来れば、
聖霊によって聖なる力が満ちあふれ、
すべてのけがれを脱ぎ捨てるようになります。
また、十字架の下に来れば、
いやしの川が満ちあふれて、
体と心をいやし、
病んでいる家庭と人生をいやすのです。
また、十字架の下に来れば、
のろいから解放され、
アブラハムの祝福を受け取るようになり、
よみがえりと永遠の命を得ます。
ゆえに、イエス様を信じる私たちは、
いつもこのように告白しなければなりません。
「私はたましいが幸いを得ているように、
すべての点でも幸いを得、また健康です。
私はゆるしと義を得て、
きよさを受け取りました。
いやしの恵みを受け取りました。
のろいから解放され、
祝福を受け取りました。
永遠の命と天国を受け取りました。」
このような創造的な信仰告白を通して、
みなさんが、日々、
主にあって豊かな人生を生きて行かれますよう、
心からお祈りいたします。
みなさん、私たちはともに祈りの手をたずさえて、
悪しきものの世界を滅ぼし、
イエス・キリストのふところに抱かれていく
人生を夢見なければなりません。
みなさん、敵なる悪魔は、
たえず私たちが病にかかって死ぬことを願い、
また心の病になり、
苦しみにあうことを願っていますが、
私たちは、イエス様の御名をもって
これらすべての悪しき悪魔を追い出し、
「敵なる勢力を私は拒否します、
私は認めません、
私はこれらのものに立ち向かいます、
主の名によって勝利させてください」
と祈り、賛美と栄光を主に捧げられますよう、
主の名で祝福します。
以上
(メッセージ後の祈り)
天の父なる神様、今日の礼拝を通して、
神様に感謝をささげ、
賛美と栄光をささげながら、
また御言葉を聞いて自分自身をかえりみ、
明日のために祈ることができるように
してくださったことを感謝します。
主よ、どうかいつも十字架の前に来て、
すべての重荷をおろし、
心の中にあるすべての貪欲や、
不義を悔い改め、
いのちなるイエス様だけを見上げながら
歩んで聞くことができるように導いてください。
私たちの救い主なる主イエス・キリストの
御名によってお祈りいたします。