「感謝のいけにえ」2022.11.20
今日は、年に一度の収穫感謝礼拝です。
この1年間の神様の恵みを思い出し、
感謝する時を持ちましょう。
最初の収穫感謝祭は、1620年、
メイフラワー号に乗船して英国を離れ、
アメリカに移住した102人の清教徒たちが、
神様に感謝礼拝を捧げたことに由来します。
信仰の自由を求めて海を渡った彼らは、
貧しさと寒さ、極悪な環境の中で、
生きていくために種をまき、育てました。
最初の年に収穫したものは、
多くはありませんでしたが、
主の恵みに心から感謝して、
礼拝を捧げたのでした。
この美しい感謝の伝統が各国に伝えられ、
今日、福音を受け入れた多くの国々で、
収穫感謝祭が守られています。
厳しい環境下で始まった感謝が、
アメリカを世界の最強国にしたのです。
みなさん、感謝するとき、
神様の希望の光が見えてきます。
感謝するとき、信仰が成長します。
感謝するとき、困難に打ち勝つ
恵みが与えられます。
感謝する人は主に覚えられ、
感謝しない人は自ら人生に絶望の
墓穴を掘ることになるでしょう。
感謝が消えれば傷と問題と、
困難と苦痛が残り、感謝を通してこそ、
これらに勝利することができます。
ですから、私たちの人生は、
感謝の人生にならなければなりません。
つらいから感謝できない、
感謝するものが無い、
問題があるから感謝できないと、
感謝を忘れるなら、
ますます大きな問題と多くの困難が
近づいてきます。
感謝のない人生は、
クリスチャン本来の姿ではありません。
つらくても感謝、苦しくても感謝、
病気になっても、心に傷があっても、
私たちは主にあって絶対感謝なのです。
いかなる境遇の中でも、
全てのことに感謝することができるように、
そのような良き思いが、
みなさんの心に宿りますように、
心から願います。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。
(第1テサロニケ5:16-18)
さて、イスラエルの三大祭りをご存知でしょうか。
過越の祭り、七週の祭り、仮庵の祭り
の三つです。
あなたのうちの男子はみな、
年に三度、種を入れないパンの祭り、
七週の祭り、仮庵の祭りのときに、
あなたの神、主の選ぶ場所で、
御前に出なければならない。
主の前には、
何も持たずに出てはならない。
あなたの神、主が賜わった祝福に応じて、
それぞれ自分のささげ物を
持って出なければならない。
(申命記16:16-17)
三大祭りに含まれている感謝の意味について、
また、これらの祭りが私たちの信仰生活に、
どんな関連があるのかについて、
考えてみたいと思います。
1.過越(すぎこし)の祭り
イスラエルの民がエジプトで430年間、
奴隷の生活をした後、神様の恵みで
エジプトを脱出し、解放されたことを
記念するのが過越の祭りです。
アビブの月を守り、あなたの神、
主に過越のいけにえをささげなさい。
アビブの月に、あなたの神、主が、
夜のうちに、エジプトからあなたを
連れ出されたからである。
(申命記16:1)
過越の祭りは1日だけですが、7日間、
種を入れないパン(イースト菌を入れずに
発酵させていないパン)の祭りが行われます。
新約時代には、この8日間をまとめて
「種なしパンの祝い」と呼ぶようになりました。
これは、出エジプトの夜、急いでいたので、
発酵させる時間がなかったことを
思い出すためです。
さて、過越の祭りといわれる、
種なしパンの祝いが近づいていた。
(ルカ22:1)
過越の祭りは、
英語でパス・オーバーといいます。
つまり過越には、移る、越える、渡っていく、
という意味があるのです。
神様がイスラエルの民をエジプトから
導き出された時、死の使いが、
エジプト全土の長子と家畜のういごを
撃ちましたが、家の戸口に、
小羊の血を塗ったイスラエルの民を、
死の使いは過ぎ越したので、
彼らの中からは犠牲者が一人も出なかった。
これが過越の祭りの起源です。
ユダヤ人たちは今でも毎年、
過越の祭りを祝っています。
過越の祭りは、私たちの信仰に対し、
強い関連性があります。
家の戸口に塗られた子羊の血は、
神の小羊であるイエス様が、
すべてに人類の罪を背負い、
十字架で流された血を象徴しているからです。
イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、
「見よ、神の小羊」。(ヨハネ1:36)
また、エジプトに臨んだ死の使いは、
最後の審判を象徴しています。
全ての人間は例外なく、
神様の審判を受けることになります。
人が生まれ死ぬことは定めなのです。
そして、一度だけ死ぬことと、
死んだ後さばきを受けることとが、
人間に定まっているように、
キリストもまた、
多くの人の罪を負うために、
一度だけご自身をささげられた後、
彼を待ち望んでいる人々に、
罪を負うためではなしに二度目に現れて、
救を与えられるのである。
(ヘブル9:27-28)
罪に対して受ける判決は死です。
罪の支払う報酬は死である。
しかし神の賜物は、
わたしたちの主キリスト・イエスにおける
永遠のいのちである。
(ローマ6:23)
けれども、全ての人類を救うために
十字架で血を流して死なれた
イエス・キリストを信じるなら、
誰でも、死の使いが過ぎ越して行き、
救われて永遠の命を得ることができます。
神はそのひとり子を賜わったほどに、
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。
(ヨハネ3:16)
このように、罪の結果である死が過ぎ越し、
神様の豊かな命が望むようになった、
それが過越の祭りの意味であります。
私たちも、イエス様が私たちの
罪の身代わりに十字架で死なれ、
血を流されたことを信じ、
その血を心の戸口に塗りさえすれば、
救いの恵みを体験することができるのです。
そして、私たちはこの恵みによって、
死んだら天国に行けるというだけではなく、
この世を生きている間に、
死の力が私たちを倒そうとしても、
イエス・キリストの血潮の御力で、
すべての闇の勢力を退けなければなりません。
そして日々神様の驚くべき救いに感謝して、
賛美と栄光を捧げるものになれますように、
心から願います。
2.七週の祭り
三大祭りの二番目は七週の祭りです。
過越の祭りが終わって七週間が過ぎた、
その次の日(50日目)の祭であることから、
別名、五旬節ともいいます。
また七週間を数えなければならない。
すなわち穀物に、
かまを入れ始める時から
七週間を数え始めなければならない。
そしてあなたの神、
主のために七週の祭を行い、
あなたの神、
主が賜わる祝福にしたがって、
力に応じ、自発の供え物を
ささげなければならない。
(申命記16:9-10)
ユダヤ人たちは農作業に従事する7週間、
種を入れずに焼いた硬いパンを食べます。
これは、奴隷生活や荒野での生活の中から
神様が救い出してくださったことを、
思うためでもあります。
そして、つらい7週間を過ごしたのち、
収穫した小麦に種を入れて、
柔らかいパンを焼いて神様に捧げ、
家族が集まって食卓を囲みます。
つまりこのパンは、苦しい労働の後に
神様から与えられた平安を意味します。
また、出エジプトから50日目に
モーセがシナイ山で神様から
十戒を受けたことを記念する
祭りでもあります。
新約時代には、五旬節に聖霊がのぞみ、
その日から教会が始まりました。
五旬節の日がきて、
みんなの者が一緒に集まっていると、
突然、激しい風が吹いてきたような
音が天から起ってきて、
一同がすわっていた家
いっぱいに響きわたった。
また、舌のようなものが、
炎のように分れて現れ、
ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、
御霊が語らせるままに、
いろいろの他国の言葉で語り出した。
(使徒行伝2:1-4)
聖霊が私たちにのぞむ時、
私たちは力を得て、
神の証人として用いられ、
罪との戦いに勝利し、
貧しさとのろいと病に勝利し、
主の尊い働き人として用いられ、
神の栄光を表すことができます。
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、
あなたがたは力を受けて、
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、
さらに地のはてまで、
わたしの証人となるであろう。
(使徒行伝1:8)
私たちは、収穫を与え、
また平安を与えてくださる神様に、
感謝しなければなりません。
それだけでなく、律法を与えて、
神の道理を悟るようにしてくださった
神様に感謝しなければなりません。
また、聖霊を与えてくださり、
神の民として生きていくことのできる
力と知恵を与えてくださった神様に、
いつも感謝しなければなりません。
3.仮庵(かりいお)の祭
三代祭りの3番目が仮庵の祭りです。
一年の全ての農作業を終えて、
感謝を捧げる祭りです。
あなたの打ち場とあなたの酒ぶねから、
取り入れが済んだとき、七日間、
仮庵の祭りをしなければならない。
この祭りのときには、あなたも、
あなたの息子、娘、男女の奴隷、
あなたの町囲みのうちにいるレビ人、
在留異国人、みなしご、やもめも
共に喜びなさい。
(申命記16:13-14)
彼らはすべての収穫を終えたのち、
家を離れ、仮庵の中で一週間暮らします。
今日でもイスラエルのほとんどの民たちは、
マンションの屋上やベランダ、空き地に、
テントを張って一週間生活します。
これは、イスラエルの民が出エジプト後、
荒野で40年間テント暮らしをしていたことを
記念する祭りだからです。
荒野の中で、貧しさと寒さに震える中でも、
神様は共にいて食べさせ守ってくださった、
その驚くべき恵みを感謝する祭りが、
仮庵の祭りなのです。
イスラエルの民は、
このような神様を忘れることなく、
一年の中でもっとも豊かなときに、
苦しかった時代を回想しながら、
神の恵みを思い起こして、
今日を得させてくださったのは
すべて神様の恵みですと、
テントの中で感謝するのです。
また仮庵の祭りは、イスラエル民族が、
エジプトを脱出して荒野に入ったとき、
神様が、あなたがたは約束の地、
カナンに入り、豊かな驚くべき収穫を
得ると約束を立てられたことも記念しています。
みなさん、イスラエルの民をカナンに
導いた神様は、今日も私たちを導き、
みわざをなされる神様です。
ですから、時に人生が辛く、苦しく、
どうしてこのようなことが突然、
わたしの人生に襲ってくるのかと、
何も持たずに荒野に旅に出て、
仮庵で生活するような毎日になったとしても、
神様は、私たちの堅い礎石になられ、
避けどころになられ、
一生の要塞になってくださることを、
決して忘れてはなりません。
今、その恵みを数えるべきであります。
今、感謝の心を持って恵みを求めて、
主の御座に進むべきです。
全能なる神様、愛なる神様、
憐れみ深き神様が、
私たちを見捨てることは絶対にありません。
必ず祝福の地に導き、
みなさんの人生を美しいものとして
最後を完成させてくださることを信じ、
日々感謝を数える皆さんとなることを、
切に切に願います。