「平安のためでした」2022.11.6
今日は召天者祈念礼拝です。
先に天に召された愛する親、兄弟、親族など
故人を偲ぶ時間を持ちたいと思います。
そして、彼らが生きていた時に、
私たちにかけてくれた愛情や、
言葉を思い出す、
この尊い時間の中で、
私は今どのように生きているのかを、
振り返りつつ、感謝の気持ちで、
人生の意味を深く考えたいと思います。
1.病気になって死にかかっていたヒゼキヤ王
今年の7月、安倍晋三元総理が、
奈良の西大寺の駅前で演説中に銃撃され、
尊い命を落とされました。
また9月には、英国のエリザベス女王が、
この世を去りました。
つい最近では、韓国の梨泰院で、
本当に痛ましい事故によって、
156人の尊い命が奪われ、
多くの人が愛する家族や友人を亡くし、
悲しみの中に置かれています。
死は、ある日突然、
予告なしに私たちに訪れます。
どのような死が私を待っているでしょうか。
今日の聖書箇所に登場するヒゼキヤ王は、
神に忠実に仕えた立派な王でした。
彼は宗教改革を起こして偶像を撤廃し、
いつも御言葉通りに生き、
信仰と祈りで困難を克服しました。
このようなヒゼキヤ王が、
突然、重病にかかり死にかかっています。
そのころ、ヒゼキヤは病気になって
死にかかっていた。
そこへ、アモツの子、
預言者イザヤが来て、彼に言った。
「主はこう仰せられます。
『あなたの家を整理せよ。
あなたは死ぬ。直らない。』」
(イザヤ38:1)
この世のいかなる権力者であっても、
財閥であっても世界の英雄であっても、
死を防ぐことはできません。
呼ばれれば誰もが行かなければならないのです。
その日がいつか誰もわかりません。
私たちは、今日が最後の日だと思い、
今が愛する人に最善を尽くせる時であると、
思いながら毎日を過ごすべきであります。
みなさんが、日々、置かれているその場所で、
みなさんにゆだねられた使命を全うして、
愛を持って最善をつくす人生を歩む時、
神様が恵みと祝福を注いでくださるでしょう。
2.神様に祈ったヒゼキヤ王
ヒゼキヤ王は、目前に死が迫るという
絶望的な状況で、神様に祈りました。
そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて
主に祈って言った、
「ああ主よ、わたしが真実を
真心をもってあなたの前に歩み、
あなたの目にかなうことを
おこなったのをどうぞ思い起してください」。
そしてヒゼキヤは激しく泣いた。
(列王記下20:2-3)
その涙の祈りを聞かれた神様は、
預言者イザヤを通して、
祈りの答えを与えてくださいました。
そのとき、イザヤに次のような
主のことばがあった。
「行って、ヒゼキヤに告げよ。
あなたの父ダビデの神、
主は、こう仰せられます。
『わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。見よ。
わたしはあなたの寿命に
もう十五年を加えよう。
わたしはアッシリヤの王の手から、
あなたとこの町を救い出し、
この町を守る。』
(イザヤ38:4-6)
みなさん、苦しい時には、
助けてくれる人を探すのではなく、
まず神様に祈ってください。
神様だけが、その叫びに、
耳を傾けてくださいます。
あなたが流す涙をご覧になられて、
祈りに答えてくださり、
神様の驚くべきみわざを、
起こしてくださるのです。
病の中で希望を失っている人に対し、
私たちは、愛を示すべきです。
大変だねと心配してくれても、
自分のことのように
助けてくれる人はあまりいません。
あなたは愛されている、
あなたは必要とされている、
という愛情を示すべきです。
3.平安をくださった神様について
あなたが今経験している苦難はつらく、
とても苦しいものであるかもしれません。
しかし、苦難を通して信仰は成長します。
苦難を通してさらに神様の大きな
恵みが増し加えられます。
苦難を通して家族の大切さを知り、
家族に対する愛情がますます豊かになります。
苦難を通して万事が益となる神のみわざが、
必ず与えられます。
わたしは苦しまない前には迷いました。
しかし今はみ言葉を守ります。
あなたは善にして善を行われます。
あなたの定めをわたしに教えてください。
苦しみにあったことは、
わたしに良い事です。
これによってわたしはあなたのおきてを
学ぶことができました。
(詩篇119:67-68、71)
人はみな、苦難にあった時にこそ、
誤った道から正しい道に歩むようになり、
神から遠ざかっていた自分が神に近づくようになり、
成長できなかった弱々しい姿から成長した姿に変わり、
人格と心が整えられ、より良い姿になります。
苦難を通してこそ、
神がどのような方であるかを、
私たちは知るようになるのです。
私たちが切に祈る時、
父がわが子を愛するように、
あわれみ深き神様は、
全ての絶望から救い出してくださいます。
父がその子をあわれむように、
主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
(詩篇)103:13
苦難の中で叫び祈るとき、
心配と思いわずらいが去り、
主がくださる平安が心に訪れます。
ヒゼキヤ王は、病をいやしてくださり、
寿命まで延長してくださった神様に、
感謝の祈りを捧げ、
神様は平安を与えてくださるために、
苦難をも許されたと語っています。
ああ、私の苦しんだ苦しみは
平安のためでした。
(イザヤ38:17)
ですから、私たちは、
決してあきらめず、放棄することなく、
神様にすべてをゆだね、
神の平安が心に来るまで、
祈らなければなりません。
いかなる困難があっても続けて祈ってください。
そうすれば、苦難がむしろ信仰を成長させ、
心に愛が生まれ、
神様に栄光をささげることのできる
賜物としての人生を歩めるようになります。
私たちは何事も心配せずに、
心配する時間があるならその時間に祈り、
神に感謝を捧げるべきです。
そうすれば、信仰によって苦難に打ち勝ち、
私たちの理解を超える平安が、
心の中に、生活の中に、
人生の中にのぞむでしょう。
何事も思い煩ってはならない。
ただ、事ごとに、感謝をもって
祈と願いとをささげ、
あなたがたの求めるところを
神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい
測り知ることのできない神の平安が、
あなたがたの心と思いとを、
キリスト・イエスにあって守るであろう。
(ピリピ4:6-7)