「イエスの血潮と祈り」2022.10.2

 

1.罪によってさえぎられた道

聖書には神は六日間で天地万物を創造され、

神の似姿としてはじめの人間である

アダムとエバを造られたと記されています。

神は二人をエデンの園に置き、

このように命じられました。

「あなたは園のどの木からでも

思いのまま食べてよろしい。

しかし、善悪の知識の木からは、

食べてはならない。

その木から食べるとき、

あなたは必ず死ぬ。」

(創世記2:16-17)

 

ところが、蛇の姿で現れた悪魔が二人を誘惑し、

彼らはその実を食べてしまいます。

このようにして不従順の罪を犯したため、

人は死ぬべき存在になってしまいました。

今日、全ての人類は、

アダムとエバの子孫として、

二人の遺伝に従って罪の中に生まれ、

罪の中に生き、罪の中で死ぬのです。

 

2.道を開かれたイエス様

罪の呪いから抜け出すことができなくなった人類は、

神の前に進み出ることが出来なくなってしまいました。

けれども神は、今から2000年前に、

神のひとり子イエス・キリストを世につかわし、

全ての人間の身代わりとなって死ぬことにより、

人間の罪の代価を清算されたのです。

 

つまり神は、神なるイエスが人として生まれ、

人として生き、33歳くらいになって、

全ての人類の罪を、

一人で背負って死ぬようにされた。

このような神のご計画にイエスは従順され、

十字架につけられ、死んで墓に葬られ、

三日目によみがえり昇天されることにより、

人類が永遠に死ぬことのない

救いの道を開かれたのです。

 

このようにして、十字架の血潮で、

私たちの醜い罪は洗い清められ、

信じる者を義と認めてくださいました。

また、病のいやしも与えてくださいました。

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、

われわれの不義のために砕かれたのだ。

彼はみずかから懲らしめをうけて、

われわれに平安を与え、

その打たれた傷によって、

われわれはいやされたのだ。

(イザヤ53:5)

 

イエス様はその地上生涯において、

病をいやし、死者を生かし、悪霊を追い出し、

人々に平安を与えました。

イエス様は、まさに、

実践的な救いを見せてくださった。

つまり儀式や、儀式的な救いではなく

人の中に入ってこられて実際に助け、

実際に励まし導かれたのです。

 

イエス様は十二弟子に、

イエス様の権能を通して悪霊を追い出し、

病を癒し、苦しみのあるところに自由と

平安と解放をもたらす実践的な体験を

弟子たちがするようにされました。

ゆえに、私たちもイエスを信じれば、

イエス・キリストの御名で悪霊を追い出し、

病をいやし、呪いを取り除いて、

人々をさまざまな重荷・ストレスから救い出す

働きをすることができます。

 

キリスト教の偉大な点は五重の福音、

すなわち、

 新しく生まれ変わる福音、

 聖霊充満の福音、

 癒しの福音、

 アブラハムの祝福を受ける福音、

 永遠の命に与かる福音

を通して人々を生かし、人々に希望を与え、

信じる全ての人が救いを得るという、

実践的な御業が起きることであります。

 

私たちが毎月捧げている聖餐式は、

イエス様を体験する恵みであり、

また神様からの教訓です。

イエス様の血潮を象徴するぶどう酒と、

イエス様の肉を象徴するパンを食することで、

イエス・キリストと一つになる体験をします。

キリストが私の内におられ、

また私がキリストの内にいる、

という体験を通して、

私たちは神様の子どもとして、

力強く人生を歩んで行くことができるのです。

 

3.大胆に恵みの御座に近づきなさい

イエス様を信じることによって、

霊と魂が生き返り、

イエス様が私たちの霊と魂の中に

とどまるようになります。

 

イエス様は遠い天の果てにおられるのではなく、

みなさんといつも共におられます。

そしてイエス・キリストを信じる信仰を通して、

すべての点で幸いを得、

また健康を与えてくださいます。

 

イエス様が来られる以前は、

子羊を屠ってその血をまき、

火で焼くことで贖罪をしました。

しかし、イエス様が犠牲の子羊となって

十字架で血を流して死なれ、

そしてよみがえられてからは、

イエスを信じる信仰によって罪ゆるされ、

義と認められます。

 

昇天される前、イエス様は語られました。

「信じる者には、このようなしるしが伴う。

すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、

新しい言葉を語り、

へびをつかむであろう。

また、毒を飲んでも、決して害を受けない。

病人に手をおけばいやされる。」

(マルコ16:17-18)

このような奇跡について、

今日のキリスト者は、

過去の物語のように扱うばかりで、

キリスト教が実践的な救いの宗教であることを

見せることができずにいます。

 

私たちがこれからしなければならないことは、

主イエス様を実際に受け入れて生きることであり、

主は私の内におられ、

私は主の内にいるという体験をすることです。

イエス様を信じる信仰というものは、

実際に体験しなければなりません。

目に見えず、耳に聞こえず、

手に触れることができなくても、

イエス・キリストを救い主として信じ

感謝して祈りを捧げれば、

キリストを実際に体験するようになります。

 

しかしながら、

漠然とした望みを抱くことはできても、

心に信じて祈ることは容易ではありません。

イエス様が生きておられた時代においても、

実践的な信仰が示されたところにおいて、

神は御業を行われました。

 

イエス・キリストに出会いたいならば、

聖書の御言葉を信じて祈ってください。

そして御言葉通りになるようにと、

神のみ前に出て祈ってください。

神の御前に進み出る時には、

大胆に出て行ってください。

はばかることなく、

神の御座に近づいてください。

そうすれば、今も生きておられる

イエス・キリストの恵みを、

実践的・実際的に体験し、

みなさんの人生に、

勇気と希望と喜びと感謝が

溢れるようになるでしょう。

兄弟たちよ。こういうわけで、

わたしたちはイエスの血によって、

はばかることなく聖所にはいることができ、

彼の肉体なる幕をとおり、

わたしたちのために開いて下さった

新しい生きた道をとおって、

はいって行くことができるのであり、

さらに、神の家を治める

大いなる祭司があるのだから、

心はすすがれて良心のとがめを去り、

からだは清い水で洗われ、

まごころをもって

信仰の確信に満たされつつ、

みまえに近づこうではないか。

また、約束をして下さったのは

忠実なかたであるから、

わたしたちの告白する望みを、

動くことなくしっかりと持ち続け、

愛と善行とを励むように互に努め、

ある人たちがいつもしているように、

集会をやめることはしないで互に励まし、

かの日が近づいているのを見て、

ますます、そうしようではないか。

(ヘブル10:19-25)

 

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