「イエス様と四次元の世界」2022.9.4

 

信仰によって、わたしたちは、

この世界が神の言葉で造られたのであり、

したがって、見えるものは

現れているものから出てきたのでないことを、

悟るのである。(ヘブル11:3)

 

1.二つの世界の秩序

神様がはじめに創造された世界は、

傷のない極めて美しいところでした。

しかし、人類の先祖アダムとエバが

罪を犯した結果、地は呪われ、

人間に死が入ってきました。

そして世界は二つの秩序に

分けられるようになりました。

目に見え触れることのできる三次元の世界と、

目に見えず触れることもできない四次元の世界です。

 

一次元の世界は直線、

二次元は平面、

三次元は立体の世界であり、

人間の感覚で理解することができ、

手で絵を書くことができます。

一方、四次元の世界は、

人間の感覚を超えた霊的な世界なので、

人間の手で絵を描く事ができません。

 

アダムの罪によってすべての人類は、

神様との関係が断絶したため、

天地を創られた神を認識できず、

三次元の物質世界の中で生きているのです。

 

このように人は四次元を

認識することはできませんが、

ひとりの人間には外なる人と、

内なる人があり、

つまり内側に霊を宿しているので、

人間は、三次元の物質世界と、

四次元の霊的世界の中に、

生きていると言うことができるのです。

 

2.無神論的な世界と有神論的な世界

今日、多くの人が、

無神論的な世界に生きています。

無神論的な三次元の物質世界に生きる人は、

四次元などない、神はいないと言います。

神様は霊であるので霊が死んだ人は、

神を知ることができません。

 

アダムが罪を犯した時、

神様から、彼に死を宣告されました。

それは「肉体的な死」を意味すると同時に、

神様と交わることのできない「霊の死」を

意味するものです。

ゆえに四次元の霊の世界におられる神を、

人間は知ることができないので、

神はいないと、

今日の人たちは言うのであります。

愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。

彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、

善を行う者はない。(詩篇14:1)

そこでイエスは言われた、

「わたしがこの世にきたのは、

さばくためである。すなわち、

見えない人たちが見えるようになり、

見える人たちが見えないように

なるためである」。(ヨハネ9:39)

神様を知らず信じない人は、

霊的な目が不自由な人であります。

内なる人が死に、

外なる人だけが生きている人たち、

霊的盲目の人たちです。

 

ヨハネの福音書9章に、

イエス様が生まれつきの盲目の人を

見えるようにする奇跡が記されています。

この話の中に出てくるパリサイ人たちは、

このような驚くべき奇跡を見ても、

イエス様がメシアであることを、

認めませんでした。

彼らこそが霊的盲目の人たちです。

そこにイエスと一緒にいた

あるパリサイ人たちが、

それを聞いてイエスに言った、

「それでは、わたしたちも

盲人なのでしょうか」。

イエスは彼らに言われた、

「もしあなたがたが盲人であったなら、

罪はなかったであろう。

しかし、今あなたがたが『見える』と

言い張るところに、

あなたがたの罪がある。

(ヨハネ9:40−41)

 

今日においても、

このような人々が多くおられます。

イエス様が救い主として来られたにもかかわらず、

彼を信じないで、

三次元の物質世界しか信じようとせず、

目に見えるものが全て、

という考えで生きています。

 

イエス様が救い主として

この世に来られたにもかかわらず、

彼を信じないで物質的な世界だけを

信じているのが今の世の中の

人々の秩序であります。

しかし、イエス様を信じて生まれ変われば、

霊的な世界を見ることができるようになり、

イエス様とともに四次元の世界を

生きることになります。

 

霊的な四次元の世界は、

信仰の世界であり、

奇跡の世界であり、

永遠なる神の力によって

生きる世界であります。

それは神の内にあって考え、

夢見て、信じ、信仰を告白しながら、

肯定的な考えの中で生きる世界です。

するとイエスは言われた、

「あなたがたの信仰が足りないからである。

よく言い聞かせておくが、もし、

からし種一粒ほどの信仰があるなら、

この山にむかって

『ここからあそこに移れ』と言えば、

移るであろう。このように、

あなたがたにできない事は、

何もないであろう。

(マタイ17:20)

 

3.イエス様の教えについて

なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、

霊に従う者は霊のことを思うからである。

肉の思いは死であるが、

霊の思いは、いのちと平安とである。

(ローマ8:5-6)

そしてイエス様はこう言われました。

人が全世界をもうけても、

自分の命を損したら、

なんの得になろうか。

(マルコ8:36)

 

またヨハネはこう記しています。

愛する者よ。

あなたのたましいが

いつも恵まれていると同じく、

あなたがすべてのことに恵まれ、

またすこやかであるようにと、

わたしは祈っている。

(第3ヨハネ1:2)

 

それゆえに何よりもまず魂が幸いを

得なければなりません。

魂が幸いを得ること、

恵まれることが最も大切です。

イエス様を信じて、

霊がよみがえらなければならないのです。

霊がよみがえり健康であるためには、

神様の御言葉を常に食べなければなりません。

主のおきては完全であって、

魂を生きかえらせ、

主のあかしは確かであって、

無学な者を賢くする。

主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、

主の戒めはまじりなくて、

眼を明らかにする。

(詩篇19:7-8)

神様の御言葉が私たちの魂を生かします。

心にも、また肉体にも健康を与えます。

 

次に考えるべきは、

心の状態を正しくおさめるべきである、

ということです。

油断することなく、あなたの心を守れ、

命の泉は、これから流れ出るからである。

(箴言4:23)

陽気な心は健康を良くし、

陰気な心は骨を枯らす。

(箴言17:22)

 

私たちの人生には精神的な苦しみと

肉体的な痛み、生活の悲しみなどが、

数多く近づいてきます。

しかし、同じ環境の中でも、

ある人は悲しみながら生き、

ある人は喜びながら生きています。

その差は自分の心をどのように

治めるかにかかっています。

自分の心を制することができない人は、

城壁のない、打ちこわされた町のようだ。

(箴言25:28)

神様は、私たちが健康で明るく良い人生を

生きることを願っておられます。

健康でなければ家庭も仕事も守ることができず、

また、したいこともできません。

神様のための働きもできません。

ゆえに私たちは神様が下さった健康を

管理することに心を注がなければなりません。

そして、病気になった時も病気に立ち向かい、

病気を退けなければなりません。

イエス様が約束されました。

信じる者には、このようなしるしが伴う。

すなわち、彼らはわたしの名で

悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、

へびをつかむであろう。

また、毒を飲んでも、決して害を受けない。

病人に手をおけば、いやされる。

(マルコ16:17-18)

 

それゆえ私たちは、

いかなる状況の中でも、

決して落胆してはなりません。

主の約束を堅く信じて肯定的に生き、

いつも神様の内にあって夢を見、

考え、信じ、信仰を告白しながら、

肯定的な言葉を用いて生きるべきです。

 

4.イエス様の十字架のあがないの苦難について

イエス様は十字架のあがないの

苦難の中で約束されました。

あなたがたのよく知っているとおり、

あなたがたが先祖伝来の

空疎な生活からあがない出されたのは、

銀や金のような朽ちる物によったのではなく、

きずも、しみもない小羊のような

キリストの尊い血によったのである。

(第1ペテロ1:18-19)

ゆえに私たちは、

イエス・キリストの十字架を通して、

罪を洗い、義を賜物として受け取り、

癒しを受け、のろいから開放され、

よみがえりと、永遠の命と、

天国を得るようになりました。

私たちは五重の祝福と、

魂が幸いを得ているように

全ての点で幸いを得て、

健康で、豊かに命を得させてくださる

恵みを受けるべきです。

 

5.神様が下さった力について

神様は、イエス様を信じて

神の御前に出てくる人に、

神の権威と力を与えてくださいます。

聖霊様もまた神様のために

祝福を宣言するのです。

盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、

滅ぼしたりするためにほかならない。

わたしが来たのは、羊が命を受けるため、

しかも豊かに受けるためである。

(ヨハネ10:10)

 

旧約聖書の列王記(下)を見ると、

敵の軍勢がエリシャのいる町を

完全に包囲した時、エリシャのしもべは、

その現実を見て非常に恐れました。

彼は三次元の世界だけを見て、

絶望という結論を出したのです。

しかし、神のしもべエリシャは、

四次元の世界を見ていたのでこう言いました。

「恐れることはない。

われわれと共にいる者は

彼らと共にいる者よりも多いのだから」。

(列王記下6:16)

そしてエリシャが祈ると、

しもべの霊の目が開かれました。

そしてエリシャが祈って

「主よ、どうぞ、彼の目を開いて

見させてください」と言うと、

主はその若者の目を開かれたので、

彼が見ると、火の馬と火の戦車が

山に満ちてエリシャのまわりにあった。

(列王記下6:17)

今日、多くの人々は、

目に見える物質世界だけに頼っています。

だから目に見えるものが良ければ喜び、

少しでも苦難がくると嘆き悲しみ絶望し、

極端な選択をしてしまいます。

しかし、イエスを信じて

新しく生まれ変わった人は、

四次元の霊性を通して、

魂が幸いを得ているように、

全ての点で幸いを得、

また健康で勝利の人生を

生きることを夢見、考え、信じ、告白して、

困難を主の恵みの中で乗り越えて

前進していきます。

 

このような主の恵みが私たちの上に

注がれている以上、私たちは、

人生において決して敗北者にならず、

勝利者になるだけであります。

このような主の恵みが、

今日も、私たちの心の内に、

また生活の中に、そして身体の上に、

豊かに注がれることを心から信じ、

お祈りいたします。

 

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