「わたしの霊を注ぐ」2022.6.5
1.聖霊の時代が開かれた
本日は、聖霊降臨日です。
これはイエス様の復活から50日目に
聖霊が降臨したのを記念する日です。
今から約2000年前のこの日、
イエス様の弟子であるペテロが、
次のように聖霊の時代が開かれたことを
宣言しました。
神がこう仰せになる。終りの時には、
わたしの霊をすべての人に注ごう。
(使徒行伝2:17)
イエス様の弟子たちは、
3年半もイエス様と共に過ごし、
イエス様から直接、御言葉を教わり、
イエス様のなさる様々な奇跡を見たり、
体験したにもかかわらず、
イエス様が捕らえられた時、
彼らは恐ろしくなって、
イエス様を捨てて逃げました。
ところが、聖霊が降臨したときから、
彼らは完全に変わりました。
臆病だった彼らは、死をいとわず、
命がけで福音を伝える者に変えられたのです。
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、
あなたがたは力を受けて、
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、
さらに地のはてまで、
わたしの証人となるであろう」。
(使徒1:8)
聖霊を受けると力が与えられ、
主の証人としての人生を生きられます。
「主は生きておられる」
「神様はおられる」
「神様は、病をいやす方である」
「神様は私にこのような祝福を与えてくださった」
「私の人生をこのように豊かにしてくださった」
「家族を恵みと平安の中で導いてくださった」
と、神様を証しすることのできる、
恵まれた人生を歩めるのです。
ですから、イエス様を信じる私たちは、
聖霊に満たされなければなりません。
そうすれば、聖霊が助けてくださり、
あらゆる問題と困難と病を乗り越え、
勝利の人生を歩むことができます。
なぜ無気力になることがあるのでしょう。
また、ささいなことで腹を立てたり、
落胆したり、挫折したりするのでしょうか。
それは聖霊の満たしを受けていないからです。
力と愛の霊である聖霊様を受けると、
怒りや悩みに打ち勝つことができます。
神がわたしたちに下さったのは、
臆する霊ではなく、
力と愛と慎みとの霊なのである。
(第2テモテ1:7)
つらく苦しい時、
お酒を飲んで忘れようとしても、
醒めたら余計に心が苦しくなるものです。
聖霊に満たされると、闇の勢力が退き、
喜びと恵みと平和が満ちあふれ、
驚くべき祝福と健康の恵みを体験するでしょう。
酒に酔ってはいけない。
それは乱行のもとである。
むしろ御霊に満たされて、
詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、
主にむかって
心からさんびの歌をうたいなさい。
(エペソ5:18-19)
この御言葉は、勝利の信仰生活の秘訣です。
辛い過去にとらわれてはなりません。
弱い自分ばかり見つめてはなりません。
つねに聖霊に満たされて、
日々新たにされ、日々前進するのです。
聖霊とともに歩めば、
希望を持つことができます。
その希望が、可能性を与えてくれます。
可能性はやがて奇跡を生み出します。
歳をとると出来なくなることがたくさんあり、
加えて、突然の病がおそってきます。
しかし、年をとっても聖霊様とともに歩めば、
何の問題もありません。
毎日がリハビリだと思って、
聖霊様とともに歩んでください。
教会に来ることもリハビリ、
掃除、洗濯、何をするのもリハビリです。
リハビリは楽ではありません。
痛いところを伸ばさなければならないし、
しんどくても続けなければなりません。
しかし、痛いから、歳だからと、
じっとしていたら何もできなくなります。
座して死を待つばかりです。
しかし、リハビリすると、
出来なかったことが出来るようになります。
「ああ、できるんだな」と、
実感するようになります。
神様、私の心の中に、
「私はできる」という思いを与えてください!
今まで不可能だと思っていたことが可能だと、
私の心が変わるように祝福してください!
主にあって「私はできる」と思ったとき、
可能性が生まれ、
その可能性のあるところに、
神様の恵みとして奇跡が起きるのです。
2.夢を見る人になりましょう
聖霊を受けると尊い夢をみるようになります。
神がこう仰せになる。終りの時には、
わたしの霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、
若者たちは幻を見、
老人たちは夢を見るであろう。
その時には、わたしの男女の僕たちにも
わたしの霊を注ごう。
そして彼らも預言をするであろう。
(使徒行伝2:17−18)
預言をするとは、
神様の御言葉を体現することです。
つまり、その人の考えが人間の考えから、
神様の考えに変わることを意味します。
できないと思われたことが、
私はできるという神様の考えに変わる
ということです。
幻を見るとは、ビジョンを持つことです。
尊い夢とビジョンを持って、
明日に向かって進んでいくことができる神の働き人、
神に愛される民へと変えられます。
聖霊を受ければ考えが変わり、
環境が変わり、
人生が変わるようになるのです。
多くの人が夢とビジョンを持たずに生きています。
ただ風が吹くままに生きると、
人生の意味も、喜びや生きがいもありません。
一日限りの人生であったとしても夢を見るべきです。
ビジョンを持つべきです。
神様は夢とビジョンのある神の民と歩んでくださいます。
やがて目の前に来ることになる神様の驚くべき祝福を見つめ、
信仰によって前進し、前進し、また前進するべきです。
昨日より今日、
今日よりも明日が良くなる夢を見るべきです。
今日、受けた治療によって、
明日もっと元気になる夢を見るべきです。
神様の前で祈りの課題を持って聖霊様の助けを求め、
問題が解決される夢を見るべきです。
夢を見るということは、
今の自分の現実を見るのではなく、
明日に向かってポジティブな考えを持ち、
それを見つめることを意味します。
夢をみるのに、お金はかかりません。
健康も物質も必要ありません。
ただ、心に信仰的でポジティブな考えさえあれば、
全ての人は神の恵みによって、
夢を実現することができるのです。
私はもう歳だから。
最近よく周りから聞こえてきます。
歳だからできませんと言わないでください。
生きている限り、明日の夢を見るべきです。
健康になる夢、
孫たちの成長を見る夢を見るべきです。
そのために神様力を与えてください、
健康を守ってください、
そのように夢を見て祈るべきです。
パウロは夢とビジョンの人でした。
生涯、与えられた夢とビジョンを
握りしめて走っていきました。
しかし、わたしは自分の行程を走り終え、
主イエスから賜わった、
神のめぐみの福音をあかしする
任務を果し得さえしたら、
このいのちは自分にとって、
少しも惜しいとは思わない。
(使徒行伝20:24)
パウロにははっきりした夢があったので、
多くの困難を乗り越えることができました。
夢があったゆえに後ろを振り返らず、
横を見ませんでした。
ただ前だけを見て、
夢に向かって体を伸ばしつつ、
信仰によって前進、また前進したのです。
兄弟たちよ。
わたしはすでに捕えたとは思っていない。
ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、
前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
目標を目ざして走り、
キリスト・イエスにおいて上に召して下さる
神の賞与を得ようと努めているのである。
(ピリピ3:13-14)
息がある限り夢を見てください。
家庭、子ども、教会、職場への、
神様が与えてくださった夢を見てください。
その夢を信じて、
神様の驚くべきみわざが人生に必ず起きると
信じて進めば必ずそうなります。
神様がそのようにしてくださるのです。
3.神様の御心について
神様の御心、すなわち神様の夢は、
全人類がイエス様を信じて救われることです。
そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう。
(使徒行伝2:21)
ですから、イエス様を信じた私たちは、
福音をのべ伝える神様の証しびとに
ならなければなりません。
主は私にこのようなことをしてくださった。
主は本当に生きておられる。
聖霊を受ければ、
そのような証しすることができるのです。
聖霊降臨の日、
ペテロの言葉を聞いた人々は心を刺され、
すなわち聖霊の感動を受け、
彼らは次々に罪を悔い改めてイエスを信じ、
バプテスマ(洗礼)を受けました。
人々はこれを聞いて、強く心を刺され、
ペテロやほかの使徒たちに、
「兄弟たちよ、わたしたちは、
どうしたらよいのでしょうか」と言った。
すると、ペテロが答えた、
「悔い改めなさい。
そして、あなたがたひとりびとりが
罪のゆるしを得るために、
イエス・キリストの名によって、
バプテスマを受けなさい。
そうすれば、あなたがたは
聖霊の賜物を受けるであろう。」
(使徒行伝2:37)
イエス様を信じることは、
人間の力や知恵でできるものではなく、
聖霊様の働きが必要です。
そこで、あなたがたに言っておくが、
神の霊によって語る者はだれも
「イエスはのろわれよ」とは言わないし、
また、聖霊によらなければ、
だれも「イエスは主である」と
言うことができない。
(第1コリント12:3)
聖霊に満たされた初代教会は、
不思議なわざと奇跡の共同体です。
多くの人々の病が癒やされました。
がんが癒やされました。
内蔵の疾患が癒されました。
歩けなかった人が走るようになりました。
聖霊様がのぞめば、
そのような驚くべきみわざが起きるのです。
それだけではなく、初代教会は、
分かち合いの共同体でした。
教会の中に貧しい者がいなかったのです。
わたしのいましめは、これである。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互に愛し合いなさい。
(ヨハネ15:12)
ニューヨークで、
あるホームレスが冬に凍死したとき、
その人のバックを開いてみると、
中から5万ドルが出てきました。
彼は物乞いをしながら蓄えた
紙幣を抱きながら亡くなったのです。
彼が5ドル出して風呂に入り食事をとったなら、
決して死ぬことはなかったでしょう
お金は使ってはじめて価値があります。
必要な分は神様が与えてくださいます。
初代教会の聖徒はその事実を知っていました。
与えよ。そうすれば、
自分にも与えられるであろう。
人々はおし入れ、ゆすり入れ、
あふれ出るまでに量をよくして、
あなたがたのふところに入れてくれるであろう。
あなたがたの量るその量りで、
自分にも量りかえされるであろうから。
(ルカ6:38)
彼らは、持つ者は惜しみなく施し、
貧しい人や病気にかかった人を助けました。
聖霊を受けると、そのような尊い働きが
できるようになるのです。