「あなたを立て光とする」2022.5.22
1.人生の目的について
私たちは何のために生きているのでしょうか。
また、自分とはいったい何ものなのでしょうか。
このような問いに対する答えは、
すべて聖書の中にあります。
私たちは皆、罪の中で生まれ、
罪の中に生き、
やがて罪の中で死ぬ存在です。
しかし、何故なのか、何による恵みなのか、
神は、イエス・キリストをこの地上に送り、
私たちの罪の代わりに十字架につけて
死ぬようにされるほど、
私たちを、かえりみてくださいます。
主よ、人は何ものなので、
あなたはこれをかえりみ、
人の子は何ものなので、
これをみこころに、とめられるのですか。
(詩篇144:3)
そして、私たちを召し、私たちの名を呼び、
あなたは私のものだと言ってくださいます。
わたし、主は、義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、国々の光とする。
(イザヤ42:6)
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
わたしはあなたの名を呼んだ、
あなたはわたしのものだ。」
(イザヤ43:1)
このような恵みに対する私たちの告白は、
「感謝」しかありません。
私のようなものが救われ、
神の子としてくださり、
今日を得ているのです。
私たちは、このような神様の恵みに感謝して、
神の栄光のために生きるべきです。
神は、ご自身の栄光のために、
全てのものを創造されました。
すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。
わたしは彼らをわが栄光のために創造し、
これを造り、これを仕立てた。
(イザヤ43:7)
神の栄光を現わすには、
どのようにすればよいでしょうか。
アメリカのリック・ウォレン牧師は、
「人生を導く5つの目的」という著書の中で、
神の栄光を現わす方法を、
次のように述べています
・神を礼拝することによって、神の栄光を現わす
・愛を示すことによって、神の栄光を現わす
・キリストに似た者となることによって、神の栄光を現わす
・与えられた賜物を用いて人に仕えることによって、神の栄光を現わす
・他の人々に神のことを伝えることによって、神の栄光を現わす
私たちが日曜ごとに礼拝を捧げること、
職場や家庭で、あるいは隣人との関係において、
自分に与えられた賜物を用いて彼らに仕えること、
互いに愛し合うこと、
これらはすべて神の栄光を現わすことです。
皆さんそれぞれの心に与えられたことを行い、
神の栄光を現わす人生となるよう心から願います。
皆さんと私は平凡な存在ではなく、
神様の光として立てられた存在です。
わたし、主は、義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、国々の光とする。
(イザヤ42:6)
皆さんがいる場所から暗闇は消え去り、
思いわずらい、憂い、心配、恨み、
不平不満が消え去ります。
全能の神が私たちを立てられ、
光としてくださったため、
私たちが神の子として正しく歩み、
祈り求めるならば、
暗闇が人生から退き、病が退くのです。
神様は、私たちを守ってくださいます。
私たちを癒し、回復させ、
希望を与えてくださいます。
なぜでしょうか。
私たちに光としての使命を全うさせるためです。
私たちが職場において、家庭において、
人生のさまざまな場所において、
光としての使命を全うさせるために、
主が私を守ってくださるのです。
恐れてはならない、
わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、
わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、
あなたを助け、
わが勝利の右の手をもって、
あなたをささえる。(イザヤ41:10)
私たちが、もし過ちを犯し、失敗し倒れても、
神は、私たちをゆるし、慰め、
再び起きあがらせてくださいます。
よって、私たちはいつも主の前にへりくだり、
主の前で恥ずかしい姿で生きたことを悔い改め、
神の栄光を現わす主の証人、
働き人とならなければなりません
先週、Kさんが「今年90歳になるんですよ」
と言っておられました。
そして、「できる間は、教会の奉仕をします」と。
そのようなKさんを見て、
ある姉妹が言いました。
「わたしはKさんが目標です。」
皆さん、これこそが、
神の栄光を現わすことではありませんか。
神の栄光のために生きる意識を持って、
ひと足ひと足あゆむ時、
神様は私の手を取り共に歩んでくださいます。
イエス様は、山上の垂訓でこう言われました。
あなたがたは、世の光である。
山の上にある町は隠れることができない。
また、あかりをつけて、
それを枡の下におく者はいない。
むしろ燭台の上において、
家の中のすべてのものを照させるのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、
そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、
天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
(マタイ5:14-16)
神様は、あなたの「よいおこない」を「見て」おられます。
言葉だけの「愛します」「頑張ってください」ではなく、
私たちの行動を通して、
人々の光になりたいと願います。
私たちの周りには、
他者の力を必要とする人が多くおられます。
また、そのような方々の施設で働く人もおられます。
私はクリスチャンですと言わなくていいのです、
愛をもって誠実さをもって仕えることです。
その良い行いが光として現れるのです。
アメリカのアーサー・キング牧師は、
「良い行いとは、私たちの誠実さや忠実さ、
愛、自己犠牲、忍耐や情熱などを意味する」
と言いました。
誰かが病気になって長い間病床にいる
という話を聞いたら、
まずその人のために祈ること、
お見舞いに行けるならばお見舞いに行くこと、
慰めの言葉をかけることも良い行いです。
また、絶望に陥った人、悲しみの中にいる人、
孤独な人を慰めること、勇気づけること、
その人ために祈ること、
心に留めてそのような方々を忘れないことも、
良い行いです。
大袈裟に何かをするのではなく、
私たちは祈りと愛によって、
そのような方に寄り添わなければなりません。
以上のように、私たちは神に召され、
神の光として立てられた者であり、
神の栄光を現わすために生きることが、
私たちの人生の目的であります。
2.新しいことをなされる神様について
私たちを召し、
私たちを光として立てられた神様は、
新しいことをなしてくださいます。
私がまだ知らないこと、
今まで見たことも触れたこともない
驚くべきことを体験させてくださいます。
見よ。わたしは新しい事をする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。
確かに、わたしは荒野に道を、
荒地に川を設ける。
野の獣、ジャッカルや、だちょうも、
わたしをあがめる。
わたしが荒野に水をわき出させ、
荒地に川を流し、
わたしの民、
わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
(イザヤ43:19-20)
神様は、祝福と、恵みと、癒しの道を、
私たちに歩ませてくださいます。
神の大いなる恵みによって、
私たちが途方に暮れることがないように、
手を取り、支えてくださいます。
荒野のような人生を生きる私たちが、
渇き、疲れ果てることのないように、
その恵みの水を与えてくださるのです。
一度悔い改めたことを、
何度も悔い改めることによって、
過去の辛い思いに引き戻される人がいます。
過去に縛られてはなりません。
主はこう言われます。
あなたがたは、
さきの事を思い出してはならない、
また、いにしえのことを考えてはならない。
(イザヤ43:18)
わたしこそ、わたし自身のために
あなたのとがを消す者である。
わたしは、あなたの罪を心にとめない。
(イザヤ43:25)
だれでもキリストにあるならば、
その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、
見よ、すべてが新しくなったのである。
(第2コリント5:17)
私たちが知らない新しいことが、
今、起ころうとしています
神様は私たちを愛しておられます。
どんな過ちも、主は思い出されません。
イエス・キリストを信じる一人一人に向かって、
新しいことをなしてくださる神様です。
主の御心を深く悟り、
残りの人生を、勝利の人生として、
驚くべきこと新しいことをなさる
主と共に歩まれますように、
心からお祈りします。