「強いものはヤコブのものとなった」2022.5.15
1.ヤコブの夢について
ヤコブは、兄エサウをだましたため、
住み慣れた家にいられなくなり、
遠く荒野を旅して、
叔父ラバンの家に身を寄せました。
ヤコブはラバンに仕え、
朝から晩まで一生懸命働きました。
そして、ラバンの財産は増えて多くなりました。
神様がヤコブを祝福されたからです。
ところが、ラバンはヤコブをこき使うのみで、
増えた財産をヤコブに与えませんでした。
彼は14年間、無報酬で働きました。
ラバンの娘と結婚したヤコブは、
ラバンに、こう求めました。
「私がどのようにあなたに仕え、
また私がどのようにあなたの家畜を
飼ったかは、あなたがよくご存じです。
私が来る前には、わずかだったのが、
ふえて多くなりました。
それは、私の行く先で
主があなたを祝福されたからです。
いったい、いつになったら私も
自分自身の家を持つことができましょう。」
(創世記30:29-30)
そして、ヤコブはある提案をしました。
ラバンの所有する羊とヤギの群れの中から、
「ぶち毛の羊、まだら毛の羊、黒毛の小羊」
「まだら毛、ぶち毛のヤギ」を、
ヤコブの報酬とするというものです。
これは、この地方では、
「羊は白」「ヤギは黒」が普通であって、
黒い羊、白やぶち毛のヤギは少ない、
という事実に基づいています。
ラバンにとっては、ささやかな提案、
あるいは愚かな提案に思えたでしょう。
彼は即座にこの提案を承諾しました。
ヤコブは、信仰を持って、
夢を抱いて提案したのです。
神様は夢見る人とともにおられます。
成功する人に共通する特徴は、
夢と情熱を持つ人であることです。
約束の言葉を握りしめて、夢を見ながら
信仰によって歩む人たちを神は祝福する。
ゆえに、祈る時は、健康になった姿、
祈りが叶えられたときの姿を心に描き、
夢見て祈れば、神様は、
あなたが信じた通りになるようにと、
祝福してくださいます。
さて、信仰は望んでいることを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
昔の人々はこの信仰によって
称賛されました。(ヘブル11:1-2)
信仰の尊い夢を見て、
約束の言葉を握りしめて祈り、
主の祝福を一身に受ける皆さんとなることを
主の名によって祝福します。
信仰がなければ、
神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、
神が自分を求める者には
報いてくださる方であることとを、
信じなければならないのです。
(ヘブル11:6)
信仰を持って夢を描きながら祈る人が
驚くべきことを体験し、
驚くべきことを創造するのであります。
2.ヤコブの信仰について
ヤコブがそのように提案すると、
自己中心的なラバンは、自分の群れから
雄やぎのしまのあるもの、まだらのもの、
すべて雌やぎのぶちのもの、まだらのもの、
すべて白みをおびているもの、
またすべて小羊の中の黒いものを移して
自分の子らの手にわたし、
ヤコブとの間に三日路の隔たりを設けました。
そこで、ヤコブはある策略を用いて、
自分のものとなる群れを殖やしました。
ヤコブは、はこやなぎと、あめんどうと、
すずかけの木のなまの枝を取り、
皮をはいでそれに白い筋をつくり、
枝の白い所を表わし、
皮をはいだ枝を、
群れがきて水を飲む鉢、
すなわち水ぶねの中に、
群れに向かわせて置いた。
群れは水を飲みにきた時に、はらんだ。
すなわち群れは枝の前で、はらんで、
しまのあるもの、ぶちのもの、
まだらのものを産んだ。
ヤコブはその小羊を別においた。
彼はまた群れの顔を
ラバンの群れのしまのあるものと、
すべて黒いものとに向かわせた。
そして自分の群れを別にまとめておいて、
ラバンの群れには、入れなかった。
また群れの強いものが発情した時には、
ヤコブは水ぶねの中に、
その群れの目の前に、かの枝を置いて、
枝の間で、はらませた。
けれども群れの弱いものの時には、
それを置かなかった。
こうして弱いものはラバンのものとなり、
強いものはヤコブのものとなったので、
この人は大いに富み、多くの群れと、
男女の奴隷、およびらくだ、
ろばを持つようになった。
(創世記30:37-43)
ヤコブは枝をおいて、信仰を持って、
祈りの心を持って見つめていたのです。
一生懸命見つめ、一生懸命祈りました。
すべての強いものはヤコブのものとなり、
ヤコブは大いに富みました。
これを見つめる法則といいます。
信仰によって見つめれば奇跡が起きます。
祈りがこたえられ人間の知識や理性では
ありえないことが起きるのです。
健康な姿を見つめる人に、
神様は賜物として健康をくださいます。
ですから、祈るときは、ただ祈るのではなく、
元気に健康が回復した姿を心に描きながら祈るのです。
そうすれば神様は健康を与えてくださいます。
また、皮をはいだ枝は、
イエス・キリストの十字架を象徴しています。
私たちは十字架を通して
すべてを見なければなりません。
十字架を通して神様の奇跡が
私たちに起きるようになります。
十字架を通して病のいやしの恵みが
注がれるようになるのです。
キリストは、わたしたちのために
のろいとなって、わたしたちを律法の
のろいからあがない出して下さった。
聖書に、「木にかけられる者は、
すべてのろわれる」と書いてある。
それは、アブラハムの受けた祝福が、
イエス・キリストにあって
異邦人に及ぶためであり、
約束された御霊を、
わたしたちが信仰によって受けるためである。
(ガラテヤ3:13-14)
助け主、聖霊様のご臨在を体験する
皆さんとなるよう主の名によって祝福します。
十字架の信仰と愛によって歩むとき、
神様の奇跡といやしと恵みがのぞみ、
病がいやされ、人々を理解し、ゆるし、
受け入れ、愛することができます。
十字架を見つめながら
信仰によって尊い夢を見て進むとき、
神様が共におられ、
驚くべき御わざがのぞむのです。
イエス様を信じて救われたこと以上に
素晴らしいことはありません。
しかし、イエス様を信じてからは、
十字架の恵みによって歩まなければなりません。
私たちは自分の義によって生きると、
常にぶつかり、疲れ、心が傷付きます。
自分が正しいと思うからです。
そのため何もかもが気に入らず、
納得できません。
しかし、十字架を通して全てを見れば、
全てが感謝となります。
絶対肯定、絶対感謝は、
ただ十字架というレンズを通してのみ
私たちに映るのです。
ですから、みなさんが、
十字架の愛によって武装し、
神様に栄光をささげながら歩まれますようにと
心から祈り、また願います。
神は、神を愛する者たち、すなわち、
ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、
わたしたちは知っている。
(ローマ8:28)
全てのことを、つまり、
今は悪いと思われることさえ
全部まとめて益となるようにして下さる。
これが十字架を通して見つめた
私たちの明日であり、未来であります。
十字架を通して見れば、
今の苦痛も、苦しみも、悲しみも、
傷も、痛みも、絶望も、全てのことを働かせ、
栄えの御業が成し遂げられるのです。
3.ヤコブの繁栄
ヤコブは大いに富み、繁栄しました。
神様が共におられれば祝福がのぞみます。
私たちは、主にあって富みの意識を持って
生きるべきです。なぜなら私たちが信じ、
仕えている神様は、良き神様であり、
私たちを神様に導かれた救い主イエス・キリストは、
私たちに富を賜物として下さったからです。
あなたがたは、わたしたちの
主イエス・キリストの恵みを知っている。
すなわち、主は富んでおられたのに、
あなたがたのために貧しくなられた。
それは、あなたがたが、
彼の貧しさによって富む者になるためである。
(第2コリント8:9)
私たちは、イエス様の十字架を通して
富の意識を持たなければなりません。
ですから、子どもや孫のために祈るとき、
ただ「守ってください、守ってください」と
祈るのではなく、
「主よ、どうか頭とならせ尾とはならず、
貸すことがあっても借りることのない、
そのような豊かな人生を、
私の愛する者たちに与えてください!
そのような恵みを注いでください!
なすこと全て、全ての行くところに
神様が共にいてくださり、
神様の栄光をあらわしてください!」
そのような富の意識を持って
神様の前に尊い夢を持つ祈りを捧げる
皆さんとなることを主の名によって祝福します。
イエス様が十字架の上で私たちの
のろいと、貧しさと、死と、病、
すべての問題を解決してくださいました。
それゆえ、イエス様を信じれば、
魂がいつも恵まれていると同じく、
すべてのことに恵まれ、また健やかであり、
命を得、それを豊かに持つことができる、
そのような恵みがのぞむでしょう。
そのような尊い夢を見てください。
神の尊い約束を握りしめて歩めるよう、
主の名によって祝福します。
それだけではなく、死という絶望の前で、
私たちは、死を飛び越え、
永遠に生きる御国に入るようになるのです。
ですから、私たちの人生において、
私たちのまわりにいる弱い人、
体の不自由な人、心が病んでいる人、
貧しい人、阻害されている人のために祈り、
イエス様の愛を分け合う信仰の歩みが
皆さんと私の内にあることを、そして、
この教会がそういう心を忘れることのない、
そういう方々をイエス様の愛を持って
受け入れることのできる教会となることを、
心から、心から、お祈りいたします。
イエス様は言われました。
イエスはこれを聞いて言われた、
「丈夫な人には医者はいらない。
いるのは病人である。
『わたしが好むのは、あわれみであって、
いけにえではない』
とはどういう意味か、学んできなさい。
わたしがきたのは、
義人を招くためではなく、
罪人を招くためである」。
(マタイ9:12-13)
欠点だらけの姿、傷ついた姿、けがれた姿、
ありのままの姿を受け入れて下さる主を、
今日、心の王座に迎え入れられる時間と
なることを心からお祈りします。
イエス・キリストの十字架の恵みを通して、
神の国と神の義を第一に求めれば、
それに加えてすべて与えられます。
まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、
すべて添えて与えられるであろう。
(マタイ6:33)
与えよ。
そうすれば、自分にも与えられるであろう。
人々はおし入れ、ゆすり入れ、
あふれ出るまでに量をよくして、
あなたがたのふところに
入れてくれるであろう。
あなたがたの量るその量りで、
自分にも量りかえされるであろうから」。
(ルカ6:38)
みなさん、私たちが今ここにいること、
今、主の前に来ることができ、
私たちが今日という日を迎えて
生活することができること、
ここまで来た全ては神様の恵みです。
イエス様の内にあって、
生まれ変わった姿を見つめ、
尊い夢を見ながら、
十字架を通して世界を見、
十字架のあがないの
癒しの恵みを通して人を見て、
信仰によって前進、前進、
また前進していくヤコブの信仰が、
特別にみなさんと私に与えられることを、
心からお祈りいたします。