「この山地を私にください」2022.3.13

 

1.御言葉の上に立つ信仰

私たちは徹底的に御言葉中心の人生を歩まなければなりません。

御言葉は神様の恵みと、希望と、病のいやしを与えてくれるからです。

御言葉を知らずに、また聞かずに信仰生活を送るのは、とても危険であり、愚かなことです。

 

カレブは、生涯、神様の御言葉を握りしめて歩んだ信仰の人です。

イスラエルの民がエジプトから脱出し、約束の地カナンに入るとき、カレブは偵察隊の一人に選ばれました。

偵察を終えて帰ってきたとき、彼らはその地の民が強大で恐ろしいという否定的な報告をしました。

しかし、カレブは違いました。彼は、こう進言しました。

「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」。(民数記13:30)

 

このポジティブな告白を通してカレブの信仰が認められ、神様は彼に約束の御言葉を与えてくださいました。

ただエフンネの子カレブだけはそれを見ることができるであろう。

彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えるであろう。

彼が全く主に従ったからである。(申命記1:36)

 

ところが、イスラエルの民たちはカレブの肯定的な報告に耳を傾けず、否定的な報告の方に心を奪われて悲嘆に暮れ、不平を述べました。

そこで、会衆はみな声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。

またイスラエルの人々はみなモーセとアロンにむかってつぶやき、全会衆は彼らに言った、

「ああ、わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んでいたらよかったのに。」(民数記14:1-2)

それを聞いた神様はイスラエルの民たちを荒野に戻し、彼らは荒野をさまようことになりました。

 

カレブは荒野の中で、この時の約束の御言葉をずっと握りしめていました。

そして、45年後、彼は45年前にモーセによって語られた神様の約束の御言葉を持ち出して、その成就を求めました。

「主がカデシ・バルネアで、あなたとわたしとについて、神の人モーセに言われたことを、あなたはごぞんじです。

主のしもべモーセが、この地を探るために、わたしをカデシ・バルネアからつかわした時、わたしは四十歳でした。

そしてわたしは、自分の信ずるところを復命しました。

しかし、共に上って行った兄弟たちは、民の心をくじいてしまいましたが、わたしは全くわが神、主に従いました。

その日モーセは誓って、言いました、

『おまえの足で踏んだ地は、かならず長くおまえと子孫との嗣業となるであろう。

おまえが全くわが神、主に従ったからである』。(ヨシュア記14:6-9)

 

カレブは神様の約束の御言葉を、信仰によって受け止め、約束が成し遂げられる日を待ち望んで生きました。

そして45年後、彼は御言葉の恵みにあずかったのです。

 

どんなに苦しくても、また多くの問題が来ても、御言葉を握りしめて進めば、あらゆる問題を乗り越え、勝利の人生を歩めます。

だから常に御言葉を告白すべきです。

主は私の羊飼いです、私には乏しい言葉ありません、聖書に約束されているように、私の人生に神様の驚くべき恵みと祝福を与えてください!

このように神様に祈り、多くの祝福を受ける人生を歩んでください。

 

私たちが徹底的に御言葉の上に立ち、御言葉を日夜黙想し、御言葉に従順するときに、神様の祝福がのぞみます。

聖書を読み聞くとき、この御言葉は今わたし与えられた御言葉だ!と信じて受け入れるなら、その御言葉どおりになるでしょう。

 

2.絶対肯定の信仰について

絶対肯定の信仰とは「御言葉がその通りに成し遂げられる」と信じることです。

カレブは主の約束の御言葉を45年間、信じ続けました。

このような信仰の人は、自分自身に対するポジティブな自画像を持っています。カレブはこう言いました。

主がこの言葉をモーセに語られた時からこのかた、イスラエルが荒野に歩んだ四十五年の間、主は言われたように、わたしを生きながらえさせてくださいました。

わたしは今日すでに八十五歳ですが、今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。

わたしの今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。

それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。(ヨシュア記14:10-12)

 

このように彼の信仰は40年間おとろえることはありませんでした。

イエス様を信じる私たちも、カレブのような自分に対するポジティブな自画像を持つべきです。

過去に失敗したことがあったとしても、過去の傷が今も自分を苦しめているとしても関係ありません。

なぜなら私たちは新しく生まれ変わったからです。

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。

古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(第2コリント5:17)

 

絶対肯定の信仰とは、良き神様が私と共におられることを絶対的に信頼することでもあります。

病気を持っているとしても病気に目を向けず、健康になった自分を見つめてください。

「ナザレ イエスの御名によって命じる、私の人生を苦しめているすべての病よ立ち去れ!健康になれ!」

このようなポジティブな考え、肯定的な信仰を持つときに、神様は共にいてくださり、恵みと祝福を与えてくださいます。

 

そのためには常に自分自身と戦わなければなりません。

カレブは否定的な言葉を口にせず、恨みと不平を述べませんでした。

45年待たされても、どうして85歳になるまで約束を成し遂げてくださらなかったのですか?あまりにも遅すぎます!などとまったく言いませんでした。

彼は40歳のときと同じく自分は元気です、この元気な私にこの山地を下さい!と言ったのです。

 

私たちは敵なるもの、悪しき思いが近づいてきても恐れません。病気が攻撃してきても恐れません。

万軍の主が共におられるからです。神様が共におられれば、必ず勝利します。

主にあってポジティブな自画像持ち、肯定的な信仰によって進めば、未来は変わります。主と共に明るい未来を生きるようになります。

ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。(ローマ8:32)

 

3.夢と希望をなす信仰

カレブは大胆に、夢と希望を信仰によって宣言しました。

それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。

あの日あなたも聞いたように、そこにはアナキびとがいて、その町々は大きく堅固です。

しかし、主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう。(ヨシュア14:12)

カレブは信仰によって挑戦しました。85歳になっても彼の情熱は冷めませんでした。

自分の自画像を実現するのに必要なのは、夢と希望を持つことです。

 

人々は、夢に「向かって行く」と考えます。しかし、それは違います。

夢が私たちを導くのです。夢を持つと夢がわたしたちを引っ張ってくれるのです。

だから夢を持つべきです。健康になる夢を見れば、その夢が健康な方へ、壮健な体へとどんどん導くのです。

 

だからカレブが「この山地を私にください」と祈ったように、私たちも「健康を私にください!」「幸せな老後をください!」と祈るべきです。

神様に祝福され、用いられる夢を見てください。いつまでも健康である夢を見てください。

その夢がみなさんを健康にしてくれるのです。あっちが痛い、こっちが痛い、もうあかんと言っていても良い結果には導かれません。

 

適当に1日を過ごさず、また時間を無駄に使わず、尊い夢を見て、挑戦してください。

夢のある人は行動力があります。夢をかなえるために朝早くから勤勉に体を動かします。挑戦し、絶えず祈ります。

主の約束を忘れることなく夢見たカレブの人生の結果がここに記されています。

そこでヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、ヘブロンを彼に与えて嗣業とさせた。

こうしてヘブロンは、ケニズびとエフンネの子カレブの嗣業となって、今日に至っている。

彼が全くイスラエルの神、主に従ったからである。(ヨシュア記14:13-14)

 

愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。(第3ヨハネ1:2)

この御言葉を夢見て、信じて、告白すれば、なしとげられるのです。

たましいが幸いを得ると、すべての点で恵みを得て、また健康になります。

 

夢見ることをあきらめないでください。年老いても夢見て歩んでください。

そしてその夢がかなえられるために、もがきながら祈り、あらゆる努力を惜しまないようにして下さい。

今、この瞬間から、みなさん実行してください。

御言葉に堅く立ち、御言葉を信じ、絶対肯定の信仰を持つこと、そして夢と希望を持つことを、いま決断してください。

みなさんがそのような人生を歩み、神様の恵みと祝福を受けられますようにと主の名によって祝福します。

 

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