「神様にゆだねなさい」2021.10.17
預言者エレミヤが活躍した時代、
イスラエルの民は大いに堕落していました。
神様は、バビロンを起こし、
イスラエルの民は、
バビロンの捕囚となりました。
エレミヤは民を悔い改めさせるために
努力しましたが、
牢に閉じ込められます。
ところが、エレミヤが牢の中で、
苦しみ、もがいていたとき、
神様の驚くべき啓示が与えられました。
地を造った主、
それを形造って堅く立てた主、
その名が主である方が言われる。
『わたしを呼べ。
そうすれば、わたしはあなたに答え、
あなたが知らない理解を超えた
大いなることを、あなたに告げよう』
(エレミヤ33:2-3)
すべての出来事は、
神様の御手の中にあります。
神様は、一人で、
天地万物を造られました。
また、神様は、
御子イエス・キリストをつかわされ、
イエス様は、一人で、
十字架を負い、病と死とのろいを負い、
それらに勝利し、解決され、
救いのみわざを完成されました。
私たちは何一つ、
加えることも、
引くこともできないのです。
私たちができることは、ただ、
イエス様を信じ受け入れ、
イエス様に従順し、
人生の重荷をゆだねることです。
重荷を主にゆだねる方法、
それは、祈りです。
心の苦しみも、ストレスも、悩みも、
病も、すべての重荷を祈りによって
主にゆだねることができるのです。
すべて重荷を負うて苦労している者は、
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
(マタイ11:28)
助けは、神様から来ます。
わたしは山にむかって目をあげる。
わが助けは、
どこから来るであろうか。
わが助けは、
天と地を造られた主から来る。
(詩篇121:1-2)
問題に出会ったとき、
最初にしなければならないことは、
天地を創られた、
全知全能の神様を呼ぶことです。
神様がエレミヤに願われたことは、
わたしを呼べということでした。
神様は、神を探し求める者の声に
答えようとして待ち構えておられるのです。
神様を呼ぶときには、
ひそひそ声で静かに呼ぶのではなく、
叫んで、涙を流して呼ぶべきです。
聖書には、
泣き叫んで祈ったことにより、
奇跡を体験した出来事が、
たくさん書かれています。
ヒゼキヤが病気になり、
死にかかっていたとき、
預言者イザヤが、ヒゼキヤに、
「あなたは死ぬ。治らない。」
と、神の言葉を告げました。
そのとき、ヒゼキヤは次のように、
大声で泣いて祈ったと書かれています。
ヒゼキヤは顔を壁に向け、
主に祈った。
「ああ、主よ、どうか思い出してください。
私が、真実と全き心をもって、
あなたの御前に歩み、
あなたの御目にかなうことを
行ってきたことを。」
ヒゼキヤは大声で泣いた。
すると、神様から、
驚くべき答えがありました。
「あなたの父ダビデの神、
主はこう言われる。
わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。
見よ。わたしはあなたの寿命に
もう十五年を加える。」
(イザヤ38:1-5)
大声を出すことができなければ、
口で言い表すことのできない
うめきの声を持って、
主を呼び求めてみてください。
主は、そのような人を、
決して見捨てません。
神様がどのように問題を解決されるのか、
それは分かりません。
しかし、あなたの理解を超えた
大いなることをあなたに告げると
神様が語られるのですから、
私たちは、この御言葉を握りしめて、
祈ればよいのです。
想定しなかったことが、
人生にはたびたび起きます。
しかし死の病にかかったとしても、
切実に祈れば、
神様はあなたの叫びを聞いてくださいます。
わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。
主は耳を傾けて、
わたしの叫びを聞かれた。
主はわたしを滅びの穴から、
泥の沼から引きあげて、
わたしの足を岩の上におき、
わたしの歩みをたしかにされた。
(詩篇40:1-2)
私たちが、見たことも、聞いたことも、
想像したこともないことを、
全知全能なる神様は、
すべてご存知であり、
その解決法を既に備えておられます。
しかし、聖書に書いてあるとおり、
「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、
人の心に思い浮びもしなかったことを、
神は、ご自分を愛する者たちのために
備えられた」のである。
(第一コリント2:9)
愛なる神様にすべてをゆだねれば、
神様が、私たちの人生に、
責任を持ってくださるのです。
あなたの荷を主にゆだねよ。
主はあなたをささえられる。
主は正しい人の動かされるのを
決してゆるされない。
(詩篇55:22)
アウグスチヌスの残した言葉です。
過去は、神のあわれみにゆだねなさい。
現在は、神の愛にゆだねなさい、
未来は、神の摂理にゆだねなさい
最近与えられた御言葉が私を慰め、
希望を与えてくれます。
人は、たとえ全世界を手に入れても、
自分のいのちを失ったら、
何の益があるでしょうか。
そのいのちを買い戻すのに、
人は何を差し出せばよいでしょうか。
(マタイ16:26)
牧師である私も、
先のことを心配するときがありますが、
この御言葉が与えられて思いました。
神様が必ず守り導いてくださる、
だから、何事も早くしなければならない
と、考えないようにしよう、
ただ、出来ることを、ゆっくりと、
出来る分だけ確実にやっていこう、
そのような努力をしながら生きていこうと。
先のことは、
その時にならなければ分かりません。
でも、その時になれば分かるのです。
ならば、状況にあわせて変化しながら、
神様と共に少しずつ歩んで行けば
よいのではないでしょうか。
あなたの未来は、
他人がつくるのではなく、
あなたが、
神様と共につくるのです。
神様と共に歩み、
神様を信頼してすべてをゆだねれば、
魂に大きな安息が与えられます。
私たちを愛してくださる神様は、
いつも共にいてくださり、
私たちを未来へと導いてくださいます。
すべてのことを神様にゆだねましょう。
人生の難しい問題にあうたびに、
地を造った主、
それを形造って堅く立てた主、
その名が主である方が言われる。
『わたしを呼べ。
そうすれば、わたしはあなたに答え、
あなたが知らない理解を超えた
大いなることを、
あなたに告げよう』
(エレミヤ33:2-3)
この御言葉を握りしめて、
主に叫んで祈りましょう。
そうすれば、
無から有を生み出す全知全能の主が、
私たちの人生に、
奇跡を注いでくださると確信します。