「神様の思いと私たちの思い」2021.10.10

 

私たちの思いと、神様の思いは異なります。

私たちの思いは低く、

神様の思いは、はるかに高いのです。

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、

わが道は、あなたがたの道とは異なっていると

主は言われる。

天が地よりも高いように、

わが道は、あなたがたの道よりも高く、

わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。

(イザヤ55:8-9)

 

神様の思いには暗闇がなく、光しかありません。

私たちが「できない」「もうだめだ」と思っても、

神様はいつでも「できる」「まだ時間はある」

「道はある」と思っておられます。

 

私たちは、自分の思いを神様の思いに

一致させなければなりません。

神様は、私たちの思いを通して、

御わざをなさるからです。

全知全能の神様を信じていると言いながら、

「できない」「良いことは起こらない」と、

否定的な思いを持ち、

敗北感に踏みつけられていないでしょうか。

神様に期待する信仰者となるべきです。

 

群集が空腹であることを心配し、

イエス様が食物を与えるように言われたとき、

弟子のピリポは人間の思いでこう答えました。

「二百デナリのパンがあっても、

めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。

(ヨハネ6:7)

しかし、イエス様の思いは違いました。

そこでイエスは群衆に地にすわるように命じられた。

そして七つのパンを取り、感謝してこれをさき、

人々に配るように弟子たちに渡されると、

弟子たちはそれを群衆に配った。

また小さい魚が少しばかりあったので、

祝福して、それをも人々に配るようにと言われた。

彼らは食べて満腹した。

そして残ったパンくずを集めると、

七かごになった。

(マルコ8:6-8)

 

かつてイスラエルの民も同じでした。

彼らは神の導きで奴隷の地エジプトから脱出し、

数々の奇跡を体験したにもかかわらず、

食物と水がない荒野という環境の中で、

「いやになった」「死んでいたらよかった」

と人間の思いの中で不平不満をつぶやきました。

 

このように、人間の思いは、制限的であり、

限定的であり、環境に支配されます。

しかし、もう道がないと思われる中であっても、

「私が道である」と言われたイエス・キリストを

計算に入れて考えるべきです。

神様には数千、数万の方法があるので、

私たちに思いも着かない方法で、

神様は祝福してくださいます。

苦しいときほど、神様の視点で考えましょう。

イエスは彼に言われた、

「もしできれば、と言うのか。

信ずる者には、どんな事でもできる」。

(マルコ9:23)

 

ヘレン・ケラーはこういいました。

「ひとつの幸せのドアが閉じたとき、

もうひとつのドアが開く。

しかし、よく私たちは、

閉じたドアばかりに目を奪われ、

開いたドアに気づかない。」

人生の危機のとき、

問題だけを見つめて絶望するのではなく、

神様を見上げて「これはチャンスだ」、

「神様と交わる祝福の時間だ」と考えましょう。

そうすれば、道は開かれるでしょう。

 

次の御言葉は、

私たちが忘れてはならない神様の思いです。

神は、神を愛する者たち、すなわち、

ご計画に従って召された者たちと共に働いて、

万事を益となるようにして下さることを、

わたしたちは知っている。

(ローマ8:28)

いまは悲しく辛いことも、

神様は必ず益としてくださるので、

あなたがいま問題の中にいるとしても、

必ず祝福の道へと導かれます。

 

さあ、今日から、

「できない」「無理だ」「もうだめだ」

という人間の思いを捨てて、

「できる」「いやされる」「道はある」という

神様の思いになりましょう。

みなさんがこの信仰を用いることで、

神様の奇跡を体験されますように。

 

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