「感謝する幸いな人生」 2019.12.8

 

イエスがエルサレムに行くとき、ある村で、10人の重い皮膚の病にかかっている人たちに出会いました。

彼らは声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言いました。

するとイエスは、彼らに「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われました。

彼らはイエスの言葉に従い、祭司のところに行く途中、10人ともきよめられました。

しかし、イエスのところに感謝しに帰ってきたのは、ただ1人だけでした。

そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、

大声で神をほめたたえながら帰ってきて、

イエスの足もとにひれ伏して感謝した。

これはサマリヤ人であった。

イエスは彼にむかって言われた、

「きよめられたのは、十人ではなかったか。

ほかの九人は、どこにいるのか。

神をほめたたえるために帰ってきたものは、

この他国人のほかにはいないのか」。

それから、その人に言われた、

「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。

(ルカ17:15-19)

 

「恩は石に刻み、恨みは水に流せ」

恨みはいつまでも覚えているのに、受けた恩は忘れてしまいがちな人間というものをいましめることわざです。

恩の中で最も忘れやすいのは、親から受けた恩です。

親が子に与えるのは当然だと、親から受けた愛と親切を考えず、感謝の心忘れてしまう。

さびしいことです。

兄弟に対する感謝、師に対する感謝も忘れがちです。

お互いに受けた恩を忘れ、感謝できない人間となるなら、人生はさびしく砂漠のような枯れ果てたものになるでしょう。

今日において、個人、家庭、社会でもっとも必要なのは感謝の心ではないでしょうか。

感謝する人生は人格を向上させ、個人、家庭、社会を成長させ、心豊かな人生を歩ませてくれます。

感謝は、冷たくさびしいこの世を、美しく豊かにしてくれるのです。

 

何より私たちは、永遠に変わることのない神の愛に感謝するべきです。

今日の聖書箇所のサマリヤ人は、私たちの良き模範です。

帰ってきたサマリヤ人をイエスはとても喜び、彼を祝福し、救いをしめされました。

感謝のいけにえをささげる者はわたしをあがめる。

自分のおこないを慎む者にはわたしは神の救を示す。

(詩編50:23)

私たちも、サマリヤ人のように異邦人であり、罪深きものです。

しかし神は私たちをあわれみ、一人の御子イエスをつかわしてくださいました。

イエスの十字架の死によって、私たちはこれ以上、罪責感と無意味と死の力に飲み込まれ、滅ぼされる存在ではなくなったのです。

永遠の命を得て、永遠なる神の御国に招き入れられる存在となったのです。

救われた者は、真心をもって感謝すべきです。

 

また、感謝は信仰をはかる尺度となります。

よいときに感謝するのは当たり前ですが、苦しいときに感謝することができるのがクリスチャンの信仰です。

私たちには、よいときも苦しいときも感謝する理由があります。

それは、神様がすべてのことを益としてくださる約束です。

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、

万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

(ローマ8:28)

近づいてくる試みは、最終的に良きことに変えてくださいます。

今がいいから感謝する、それでは神を信じない人となんら変わりません。

いつも、どんなときも、信仰によって神に感謝するべきです。

いつも感謝する人には、幸せが泉のようにあふれます。

いつも感謝する家庭には、平和があふれます。

いつも感謝する教会は、さらに祝福されます。

いつも感謝する人は、あかるく幸せな社会を作るように用いられます。

 

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