「人はまいたものを刈り取ることになる」 2019.11.24
兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。
それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。
互に重荷を負い合いなさい。
そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。
もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。
ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。
そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。
人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。
御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。
まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。
人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。
たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
(ガラテヤ6:1-10)
人は、自分のまいたものを必ず刈り取ります。
神は、「まいたものを刈り取る」原則を、誰に対しても適用されます。
少しまけば少し刈り取り、多くまけば多く刈り取ります。
毎日の生活のすべてが、まくことであり、刈り取ることです。
まいたものは、近い将来、あるいは遠い未来、もしくは来世において、時が来れば必ず刈り取ることになります。
この収穫の原則をはっきり知って、あの時ああしていたらよかったと思うようなことにならないよう、言動に注意を払うべきです。
私たちがまく種の種類は、二種類です。肉にまく種と、霊にまく種です。
肉にまけば死を刈り取り、霊にまけば永遠の命を刈り取ります。
まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
(ガラテヤ6:7-8)
人に対して神に対して何をまいているか、正しいものをまいているのか考えてみるべきです。
なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。(Uコリント5:10)
慈悲、愛、平和、思いやりを、温かい心でまく者になりましょう。
祈りは霊にまくことです。祈りを多くささげると豊かな収穫を得ます。
感謝も、奉仕も、善行も、霊にまくことであり、必ず豊かな収穫を得ます。
神に捧げたものを、神は覚えておられ、捧げた以上に収穫させてくださいます。
また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。
御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである。
(マルコ4:20)
そして、すべての必要を満たしてくださいます。
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。
(ピリピ4:19)
1620年、清教徒が英国からアメリカ大陸へ渡り、厳しい環境の中で彼らは勤勉に働き、今日、その子孫たちが豊かな祝福を刈り取っています。
今日の日本が豊かになったのは、戦後、私たちの親や祖父母の世代が一生懸命に種をまいたからです。
私たちは、霊的農夫として、毎日、霊にまくべきです。
まず悔い改め、キリストを救い主として受け入れ、罪人としての過去を清算し、そして未来に向かって美しい種をまくべきです。
そうすれば、子どもたちは豊かな収穫を得、あなたは世を離れるとき神が備えておられる天の住まいに行くことができるでしょう。