「より深い信仰」 2019.9.29
信仰には、初歩的な段階と、より深い段階があります。
深い信仰に導かれたなら、勝利の人生を歩むことができます。
私たちは、キリストは私たちのために十字架で死なれたと信じています。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと(Tコリント15:3)
これは私たちの信仰の基礎をなすものですが、聖書はさらに一歩進んで、キリストと共に私も十字架につけられたのだと教えています。
「私のために」から、「私と共に」へ、より深い信仰へと進みましょう。
わたしはキリストと共に十字架につけられた。
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
(ガラテヤ2:19-20)
キリストが十字架につけられたとき、私も共に十字架につけられました。
キリストが墓に葬れたとき、私も共に墓に葬られました。
キリストが復活されたとき、私も共に復活しました。
このように、私たちは、キリストの死によって、キリストとひとつとなっているのです。
私たちはキリストと結びついて、キリストと共に死に、キリストと共に復活したのですから、いまや私たちは、キリストと共に人生を歩んで行くことができるのです。
それとも、あなたがたは知らないのか。
キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。
それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
わたしたちは、この事を知っている。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。
(ローマ6:3-8)
罪をおかした人が死ねば、本人に対する法的拘束力はなくなります。
これと同様に、キリストと共に十字架につけられ、葬られた私たちは、もはやこれ以上罪の奴隷にはならないのです。
ところが、多くのキリスト者が、死んで生まれ変わった新しい自分の姿が見えず、キリストを信じていない人とほとんど区別のない生活をしている。
「私は失敗者である」「罪多き人生である」「様々な悪を行った」「わたしの運命は絶望的だ」といった古き人の考えを持ち続けているので、主の恵みによって生きる人生の道を見いだせないでいます。
より深い信仰へと進むためには、心を新たにする必要があるのです。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
(Uコリント5:17)
古い思い、古い自分から抜け出して、新しくつくられたものとして、主の恵みにすがるべきです。
そして、清い心と正しい霊で新しくなり、新しい考えを持たなければなりません。
神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
(詩篇51:10)
このように祈るとき、内におられる聖霊が働いてくださいます。
聖霊によって、私たちは勝利者となるのです。
現実を見て落胆し、否定的な思いになってはいけません。
聖霊の助けによって一日一日生きていく、それがキリスト者の人生です。
いつどこでどんな問題にあっても、つねに聖霊と共に歩んでください。
新しい考えを持ち、自分の置かれた場所で、隣人を愛し共に歩んでください。
そして、内なるキリストを証ししてください。
そのように生きる真実なクリスチャンは、苦難や病気や悩みの中にあっても守られ、必ず神様が責任を持ってくださいます。
問題が多いときこそ、より深い信仰によって、キリストの光を放ちながら前進しましょう。