「神の国の祝福の法則」 2019.9.22
多くの人は、クリスチャンが豊かさや成功などを神に祈るのは、現世利益を求める正しくない態度だと考えています。
しかし、聖書を読めば、神は天地創造のはじめから、私たちに豊かな祝福を与えることを願っておられることがわかります。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。
また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。
これはあなたがたの食物となるであろう。
また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。
そのようになった。(創世記1:27-30)
私たちが成功し、豊かになり、幸せに生きることは神の御心です。
しかし、この世において祝福が与えられるためには、いくつかの法則を実行することが必要です。
1 まいて刈り取る法則
肥えた土地や天候に恵まれたとしても、種をまき刈り取ることをしなければ、何も得ることはできません。
環境や条件は神が整えてくださいます。
しかし、種をまき、刈り取るのは、私たちが自分でするべきことです。
ところが、多くの人は祝福を願っていながら、まこうとも刈り取ろうともしません。
まかずに刈り取ろうとするのは妄想であり、怠け者の行動です。
マタイ25章に記されている1タラントを渡された僕(しもべ)は、悪しき怠け者の信仰の姿勢として辛らつに描かれています。
すると、主人は彼に答えて言った、
『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。
そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。
さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
(マタイ25:26-30)
まかなければ絶対に刈り取れません。
この簡単な真理を、忘れている人が多いのではないでしょうか。
農夫が収穫を期待しながら種をまくように、私たちは信仰の種をまくべきです。
十分の一の捧げものも、そのひとつです。
わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。
これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
(マラキ3:10)
十分の一の種をまけば、あふれるほどの収穫を刈り取ると、わたし(神)を試してごらんなさいと聖書は勧めています。
2 与え、受ける法則
受けることだけ考えてはなりません。神様の法則は「ギブ・アンド・テイク」の法則だからです。
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。
人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。
あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。
(ルカ6:38)
神は借りを作るような方ではありません。
与えた者に、もっと多くの祝福を与えてくださるのです。
物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。(11:25箴言)
あなたの周りにも、経済的、精神的、その他、あらゆる苦しみの中にいる方がたくさんいます。
私たちがギブ・アンド・テイクの法則を正しく守れば、神の祝福を体験できるでしょう。
受けるよりは与える方が、さいわいである。(使徒20:35)
3.おもてなしをして、おもてなしを受ける法則
聖書は、自分がおもてなしを受けたい心で、他者をもてなすよう教えている。
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。
これが律法であり預言者である。(マタイ7:12)
優しくしてほしければ、自分から優しくしましょう。
助けてほしければ、自分から助けましょう。
親切な言葉がほしければ、自分から親切な言葉をかけましょう。
自分から先におもてなしする人は、神から最高のおもてなしを受けることができるでしょう。
不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。
あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。
(Tペテロ4:9-10)
4.隣人を生かし成功させるなら、自分も生き成功するようになる法則
今日は、厳しい競争社会です、
自分さえよければと思う人も少なくありません。
他人をけおとしても、成功を勝ち取ろうとする人もいます。
しかし、そのような人間の考えは、神の真理とは相反します。
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。(ローマ12:15)
隣人を生かし成功させるなら、自分も生き成功し幸せになります。
隣人を傷つけ滅ぼしたら、滅びが自分の人生の中で働くようになります。
いつも隣人を生かし成功させようとする愛の心を持つよう努めるべきです。
そのようにするとき、隣人はもちろん自分自身も、社会も祝福され栄えるでしょう。
愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
(Tコリント13:4-7)
5.神を喜ばせる行いを先にすれば、祝福が与えられる法則
次の聖句は、ピリピ教会が伝道旅行をしているパウロに献金を送ったときに、パウロがそれに感謝してピリピ教会に送った手紙の一節です。
ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった。
またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた。
わたしは、贈り物を求めているのではない。
わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。
わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。
エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。
それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。
わたしたちの父なる神に、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。(ピリピ4:15-20)
ピリピの聖徒たちによる献金は、神を喜ばせるものでした。
神は私たちの心を見られます。
神を喜ばせた行いの後に、私たちに良いものが人生にやってくるのは当然です。
神を喜ばれることをしているのに、良いことがおこらないのはむしろ不思議なことです。
ですから問題があるなら、まず神を喜ばせた後、祈ってください。
ある者は物質を捧げ、ある者は時間を捧げ、ある者は教会で奉仕し、神を喜ばせた後、それを土台にして祈り求めるとき、神はあなたを祝福してくださり、栄光をあらわしてくださるのです。
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。
それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
(ローマ12:1)