「恵みによって生きる道」 2019.9.1
神が天地を創造され、人間を創られたとき、最初の人であるアダムとエバには、ひとつの園が与えられました。
そこは、災いも、病も、死もなく、豊かな、まさに楽園でありました。
しかし、二人は神に反逆し、堕落したので、神の呪いを受けるようになってしまいました。
「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。
あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
(創世記3:17-19)
彼らは楽園から追放され、そしてその子孫たち、すなわちすべての人類は、多くの問題にぶつかるようになりました。
何よりも、まず罪の問題にぶつかりました。
その結果、憎しみと紛争の問題が絶えなくなりました。
この世には、常に、憎しみが生まれ、もめ事が絶えません。
国際間の問題も、平和的に解決しようとしても、アダムとエバの子孫である人間の力ではほぼ不可能な状態です。
また、病気の問題で苦しみを受ける運命となりました。
いくら研究しても新たな病気が発見される。
科学が発達し、豊かになったのに深い心の病にかかってしまう。
世界のいたるところで起きる自然災害、大事故による人命の被害。。。
これが、いま私たちが生きている世界の姿です。
このように、アダムとエバが神から離れて以降、のろいの世界に人は生きています。
これが「顔に汗して」生きるという言葉の意味です。
もちろん、生きていてすばらしいこと、感動や喜びに満たされることはたくさんあります。
けれども、いかなる人も、死を克服することはできません。
しかし、神はすべての罪を、イエスの十字架の血潮で清算され、彼を信じる者は恵みによって生きることをおゆるしになりました。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
(ヨハネ3:16)
この救いの恵みを信じるか否かは、人生を、恵みによって生きるか、顔に汗して生きるかを選択するという問題なのです。
いま、あなたは人生の重荷をおろして、キリストの大きな恵みの中に入るべきです。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
(マタイ11:28)
キリストを信じたのに、心の中に安息と平安がないなら、恵みから離れているシグナルです。
安息と平安は、神に従い、恵みによって生きているかどうかを判断する基準となります。
言いかえれば、自ら重荷を背負って自分の力で問題を解決しようとする神を忘れた自分となっていないかを判断する基準です。
日々祈り、すべての重荷をゆだねて生きていくべきです。
重荷をゆだねるためには訓練が必要です。
祈りと、神からの訓練を通して、心から人生を神の御手にゆだねることができます。
また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、
「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。
神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。
いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
(ヘブル12:5-8)
神の恵みを受ける者になりましょう。恵みは神からの贈り物です。
信仰もって、与えられた恵みを楽しむことが本来の人生です。
高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、
むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように。
(Tテモテ6:17)
恵みで生きるといっても、働く必要がないと言うことではありません。
もちろん、私たちは一生懸命、働かなければなりません。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
(Tコリント15:58)
天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである。
(ネヘミヤ2:20)
働く私を通して、聖霊が働いてくださいます。
私のうちにある聖霊様が働いてくださることによって、私たちはどんなことでもできるのです。
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。
(ピリピ4:13)
聖霊様の働きによって、すべてがうまく行き、かならず実を結ぶから、その働きは苦労にならないのです。
100歳の時代といわれる今の時代こそ、恵みが必要です。
神の恵みから離れなければ、老後も苦しくなく生きられ、死への恐れからも解放されます。
主は私たちを支えてくださいます。
神がともにいてくださるなら、回復、ゆるし、癒し、喜びがあります。
さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。
しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
(エペソ2:1-9)