「わたしが何をしたら永遠の命を得ることができるでしょうか」 2019.8.18

 

今日は、マルコによる福音書10章に記された、富める青年の話について考えてみたいと思います。

10:17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。

10:18 イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。

10:19 いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。

10:20 すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。

10:21 イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

イエスと青年の対話の中には、深い真理が含まれています。

青年は、永遠の命を得るために「何をしたらよいでしょうか」とたずねました。

イエスの答えは、あまりにも厳しい要求でした。

これは、青年の質問そのものが完全に間違っていたからです。

この青年は、何かを行えば、何か良いことをすれば救われると考えていたので、このような質問をしたのです。

彼は、自分の行いによって役人になり、自分の行いによってお金持ちになったので、天国も自分の行いでいけると思っていたのでした。

イエスの答えを聞いた富める青年は、悲しそうに立ち去っていきました。

イエスは、弟子たちに向かってこう言われました。

10:23 それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。

10:24 弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。

10:25 富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

らくだが針の穴を通ることは不可能です。

では、私たちは救われるのか?と心配する人がいるかもしれません。

イエスの弟子たちも心配して、こう尋ねました。

10:26 すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。

イエスはこう答えました。

10:27 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。

私たちは、生まれながらの罪人です。

この世には、罪をおかしたことのない人はいません。

このような人間たちを救うために、イエスは十字架にかかり、血を流し、その死を通して救いの道が開かれました。

救いは、行いによるのではなく、唯一信仰によってのみ与えられる神からの恵みです。

あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。

それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

決して行いによるのではない。

それは、だれも誇ることがないためなのである。

(エペソ2:8-9)

あなたは、そのままの姿で、罪ある姿で、主の前に出て、あなたを救い主として信じますと祈ってください。

主は祈りにこたえてくださり、あなたを永遠の命へと導いてくださいます。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。

それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

(ヨハネ3:16)

 

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