「弱いときに、強くなれる」 2019.8.4

 

パウロは、神から多くの啓示を受け、

「第三の天」に引きあげられる偉大な体験をした人物です。

しかし、肉体には一つの「とげ」がありました。

そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。

それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。

(Uコリント12:7)

 

パウロの「とげ」は、一般的な見解としては、

目の病気であっただろうと言われています。

何であったにせよ、それは彼を非常に苦しめました。

パウロは「とげ」から救われるよう再三祈りましたが、

その祈りは聞き届けられませんでした。

このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、

三度も主に祈った。(Uコリント12:8)

むしろ神は、パウロに、こう告げたのです。

「わたしの恵みはあなたに対して十分である。

わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。

(Uコリント12:9)

 

「とげ」がなければ、祈りの心が冷え、

信仰が惰性的になりやすくなり、

また高慢になりやすくなるものです。

パウロの受けた啓示が大きく優れたものであったので、

神は、彼が高慢にならないようにされたのです。

そして、パウロは、とげによって弱くなったとき、

逆に強くされ、どうしようもない状況の中に置かれても、

絶対に行き詰ることのない秘訣を会得したのです。

それだから、キリストの力がわたしに宿るように、

むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

だから、わたしはキリストのためならば、

弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。

なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

(Uコリント12:9-10)

 

人は誰でも、自分を苦しめる「とげ」を持っています。

重い病が「とげ」になることもあり、

人間関係が、ときには家族が、また経済的貧しさが、

「とげ」になることもあるでしょう。

しかし、「とげ」が与える傷が大きく深いほど、

人は神だけを信頼し、神にもっと近づくので、

神の恵みがあふれるようになるのです。

 

牧師であるこの私にも多くの「とげ」があります。

だから、日々祈らずに入られない弱きものであります。

しかし、すべての「とげ」は、

私を砕くための神からの訓練であり、

多くの人に福音を伝えるための錬達の過程です。

人の痛みを知り、それを分かち合うことができるように

なるために「とげ」が与えられています。

このように信じて、弱い自分を見つめているのです。

 

自分が弱いことを嘆くのではなく、

弱さを誇り、弱さを喜ぶのです。

これが、強くなることができる秘訣です。

だから、祈っても取り除かれない「とげ」があるならば、

そこに神のご意志があることを信じて、

感謝するものになりましょう。

自分を苦しめる人を通して、問題を通して、

環境を通して、病を通して、

砕かれ低くされ、神だけを信頼する信仰を持つとき、

神の偉大な力があらわれ、

慰めと、癒しを体験するでしょう。

 

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