「主の山に登るべき者はだれか」 2019.7.7

 

地と、それに満ちるもの、世界と、

そのなかに住む者とは主のものである。

主はその基を大海のうえにすえ、

大川のうえに定められた。

主の山に登るべき者はだれか。

その聖所に立つべき者はだれか。

手が清く、心のいさぎよい者、

その魂がむなしい事に望みをかけない者、

偽って誓わない者こそ、その人である。

このような人は主から祝福をうけ、

その救の神から義をうける。

これこそ主を慕う者のやから、

ヤコブの神の、

み顔を求める者のやからである。

(詩篇24:1-6)

詩篇24編によれば、次のような人が、

神様から祝福を受けることができます。

 

1.手がきよい人

手は「行い」を意味します。

行いがきよくない人は、

祈りの答えをいただくことができません。

人の前でも、神の前でも正しく行うことが、

祝福からもれない秘訣です。

神のいましめを破る人は、

悔い改めて、きよくならなければなりません。

神はきよいかたです。

人は死ぬと裁きを受けると聖書にあります。

そして、一度だけ死ぬことと、

死んだ後さばきを受けることとが、

人間に定まっている。

(ヘブル9:27)

きよくない人は一人もいません。

だから、イエス・キリストの血潮の恵みによって、

きよくされなければならないのです。

 

2 心がきよい人

悔い改めて、心がきよめられた人は、

良心が復活し、

やさしく思いやりのある心になります。

そのような心で、よき人生を生きるとき、

命が守られ、祝福を受けます。

悔い改めて心がきよくなった人は、

聖霊と共に歩むことができます。

聖霊は、悔い改めて、

きよくなった心を持つ人のうちで働かれるのです。

誰でも、悔いあらためて心がきよくなれば、

苦しんでいる人に、

愛の手を差し伸べるようになります。

また、うまくいっている人をねたむことなく、

むしろ自分のことのように喜びます。

苦しんでいる隣人を見ながら、

その人に愛の手を差し伸べることができないなら、

悔い改めが足りないのではないかと

考えてみてください。

「悔い改めよ、天国は近づいた」。

(マタイ3:2)

私たちが悔い改めて、きよい良心を持って、

聖霊と共に人生を歩みながら、

苦しんでいる隣人を助け、

喜びんでいる人と共に喜ぶとき、

主はあなたを助け、導いてくださるでしょう。

喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。

(ローマ12:15)

 

3.むなしい事に魂を奪われない人

むなしい事に魂を奪われる人は、

自分が破滅にむかうだけでなく、

家族や隣人をも破滅におとしいれます。

むなしい事に魂を奪われるとは、

正常な心を失って、

情欲と貪欲に支配されることです。

欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。

(ヤコブ1:15)

人は、自分の分を超えないように生きるべきです。

 

4.いつわりの誓いをたてない人

人々は、問題があると、

神様、この問題を解決してください、

そうしてくだされば教会で奉仕をします、

などと約束します。

しかし、祈りがこたえられると、

その誓いを簡単に忘れてしまいます。

神様との契約を簡単に破る人は、

神様から信用せず、

祈りが答えられません。

信仰生活において、信用はとても重要なのです。

兄弟姉妹と自分の間の信用も重要であり、

神様と自分との間の信用も重要です。

神は、信用のない信仰者を祝福せず、

信用ある信仰者を祝福されます。

神と人の前で約束を誠実に守る者になりましょう。

 

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