「良い種をまく信仰」 2019.5.19
教会のまわりの田んぼでは、
田植えが始まりましたね。
いまは種をまく時期です。
種をまく理由は、収穫をするためです。
田んぼでも、人生でも、
まいたとおりに収穫します。
まちがってはいけない、
神は侮られるようなかたではない。
人は自分のまいたものを、
刈り取ることになる。
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、
霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
(ガラテヤ6:7-8)
1 良い収穫のためには、良い信仰の種が必要です。
信仰の良い種とは、祈りです。
教会で、自分の部屋で、
朝起きたとき、夜床につく前、
神は、あなたのすべての祈りを聞いておられ、
答えてくださいます。
イスラエルとアマレクとの戦いで、
モーセが手を上げて祈ったときイスラエルが優勢になり、
手が重くなって疲れて祈りがなくなるとアマレクが優勢になり、
再びモーセが手を上げればイスラエルが勝ちました。
(出エジプト17章)
人生にはアマレクがたくさんいます。
病気のアマレク、人間関係のアマレク、経済のアマレク。。。
祈らないスキをねらって、悪魔は私たちを攻撃してきます。
いつも、息をするように、絶えず祈りましょう。
そうすれば、闇の勢力に必ず勝利します。
2 良い種をまく人は、いつも勤勉で、誠実です。
勤勉な人の計画は、ついにその人を豊かにする、
すべて怠るものは貧しくなる。
(箴言21:5)
正しい者を悪い道に惑わす者は、
みずから自分の穴に陥る、
しかし誠実な人は幸福を継ぐ。
(箴言28:10)
3 信仰の畑を耕しましょう。
自分の信仰がよくなったり、悪くなったりするのは、
信仰の畑を耕さないからです。
イエスは譬で多くの事を教えられたが、
その教の中で彼らにこう言われた、
「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。
すると、鳥がきて食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。
そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの中に落ちた。
すると、いばらが伸びて、
ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
ほかの種は良い地に落ちた。
そしてはえて、育って、ますます実を結び、
三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
また彼らに言われた、
「あなたがたはこの譬がわからないのか。
それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。
種まきは御言をまくのである。
道ばたに御言がまかれたとは、
こういう人たちのことである。
すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、
彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
同じように、石地にまかれたものとは、
こういう人たちのことである。
御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。
そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、
すぐつまずいてしまう。
また、いばらの中にまかれたものとは、
こういう人たちのことである。
御言を聞くが、
世の心づかいと、富の惑わしと、
その他いろいろな欲とがはいってきて、
御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
また、良い地にまかれたものとは、
こういう人たちのことである。
御言を聞いて受けいれ、
三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。
(マルコ4:2-8,13-20)
一攫千金を得ようとして一喜一憂する信仰ではなく、
御言葉によって聖霊で満たされ、
神とともに歩む信仰となるべきです。
4 神の国の畑にまきましょう。
神の国の畑にまくとは、
すなわち隣人にまくことです。
愛をもって困っている人に犠牲の種をまくとき、
神はその信仰を見てあなたを祝福されます。
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、
かわいていたときに飲ませ、
旅人であったときに宿を貸し、
裸であったときに着せ、
病気のときに見舞い、
獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、
『主よ、いつ、わたしたちは、
あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、
かわいているのを見て飲ませましたか。
いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、
裸なのを見て着せましたか。
また、いつあなたが病気をし、
獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
すると、王は答えて言うであろう、
『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟である
これらの最も小さい者のひとりにしたのは、
すなわち、わたしにしたのである』。
(マタイ25:35-40)
隣人のため、家族のため、教会のため、
社会のため、困っている人のために、
自分を犠牲にするすべてが、
神の国に種をまくことになります。
「天国は、良い種を自分の畑に
まいておいた人のようなものである。」
(マタイ13:24)