「確かな信仰」 2019.4.28
どうすれば、どんなことにも揺れ動くことのない、
確かな信仰を持つことができるでしょうか。
1 イエスにつながる
わたしにつながっていなさい。
そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、
自分だけでは実を結ぶことができないように、
あなたがたもわたしにつながっていなければ
実を結ぶことができない。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、
またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては、
あなたがたは何一つできないからである。
(ヨハネ15:4-5)
イエスだけを信頼してイエスにつながっていますか。
知らず知らずのうちに、自分や、
誰かの知識・知恵に頼っていないでしょうか。
よい方法があります。
それは、自分の弱さを認めるのです。
パウロは、自分が強いことではなく、
弱いことを誇ると言っています。
わたし自身については、
自分の弱さ以外には誇ることをすまい。
(Uコリント12:5)
その理由は、自分の弱いところに、
キリストの力があらわれるからであると語っています。
主が言われた、
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
それだから、キリストの力がわたしに宿るように、
むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
(Uコリント12:9)
自分の弱さを認めてイエスにつながり、
イエスだけを頼るとき、
イエスは、あなたの人生を導き、
祝福し、いやしてくださいます。
あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、
なんでも望むものを求めるがよい。
そうすれば、与えられるであろう。
(ヨハネ15:7)
2.キリストを証しする
パウロは、どこに行っても大胆に
キリストの福音を証しする伝道者でした。
しかし、わたしは自分の行程を走り終え、
主イエスから賜わった、
神のめぐみの福音をあかしする任務を
果し得さえしたら、
このいのちは自分にとって、
少しも惜しいとは思わない。
(使徒20:24)
キリストを証しすることは、
自分のうちにイエスが働いておられる、
ということを証しすることです。
その根本にあるのは、
私はすでに死に、
キリストが自分のうちに生きておられる、
という信仰です。
わたしは、神に生きるために、
律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に十字架につけられた。
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた
神の御子を信じる信仰によって、
生きているのである。
(ガラテヤ2:19-20)
考えてみれば、人生のほとんどの問題は、
私が生きているから問題となるのであって、
私が死んでいるなら何の問題もないのです。
むしろ、私が死ななければ、
キリストが生きて働いておられる証しがあらわれません。
もし私にはキリストを証しできるような体験がない、
という方がおられるなら、心配いりません。
キリストにあって、今から成功する体験すればよいのです。
キリストにあって、今から癒されたらいいのです
3.再臨に希望をおく
私たちは、死の問題で悩む必要がありません。
イエスを信じれば、天国で、
永遠に生きることが約束されているからです。
私たちキリスト者の希望は、
イエスが再び来られることです。
ですから、地上の人生において重要なのは、
イエスが再び来られるまでの間、
どのように今を生きるべきか、という点です。
イエスの再臨に希望をおいて、
主を待ちながら、
キリストの福音を証しする生活をするとき、
死をおそれることもない、
どんな問題にも動じない、
確かな信仰となるでしょう。
あなたがたはキリストにあって、
すべてのことに、すなわち、
すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、
キリストのためのあかしが、
あなたがたのうちに確かなものとされ、
こうして、あなたがたは恵みの賜物に
いささかも欠けることがなく、
わたしたちの主イエス・キリストの
現れるのを待ち望んでいる。
(Tコリント1:5-7)