「人生の変化」 2019.3.31
人は生まれてから一生を終えるまで、絶えず変化していきます。
子どもから大人へと成長するにしたがい、言葉も行動も変化します。
置かれた環境や、受けた教育によって、考え方や人格が変化します。
イエスを信じることで新しく生まれ変わった人は、人生のすべてが変化します。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(Uコリント5:17)
以前は世の風習と考え方にしたがっていたとしても、いまは神に愛される神の民として、みこころにしたがって生活します。
あなたの人生は、過去がどうであれ、誰でもキリストのうちにあるならば、愛なる神様のもとで勝利する人生へと変化します。
なぜなら神から愛されているからです。
今日はみなさんとともに、イエスを信じた人はどのように変化するべきか、考えてみたいと思います。
1 自画像の変化
神がアブラハムを祝福されたとき、とにかくあなたを祝福するのだと言われたのではなく、見つめる法則を通して祝福されました。
すなわち神は、アブラハムが見つめる地を与えると言われたのです。
ロトがアブラムに別れた後に、主はアブラムに言われた、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。
すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。(創世記13:14-15)
人々は、自分自身が病気になった姿、老いた姿、失敗した姿、絶望した姿を心に描き、見つめています。
そのようにしていると、悪魔がやってきて、これを罠として用いて、病気にかかるように、失敗するように、絶望するように試みるのです。
救い主としてイエスを迎え入れた人は、古い自画像を心の中から脱ぎ捨て、新しく生まれ変わった姿、神に愛されている姿、全能なる神が病をいやし、どんな問題をも解決してくださった自分の姿を心に描き、生活の中でその自画像を見つめるべきです。
新しく生まれ変わった自分自身の姿、神が与えてくださった可能性を見つめて生きるのがクリスチャン人生です。
そのようにするとき環境が変わり、奇跡が起こるでしょう。
2 次元の変化
イエスを信じたら、人間の次元で生きるのではなく、新しい次元で生きるべきです。
低い三次元の中ではなく、三次元の中で世のちょっとしたことで惑わされて生きるのではなく、神の祝福を受けることのできる第四次元に生きるべきです。
四次元とは、信仰の世界、すなわち霊的な世界です。
私たちは、見えるものによって生きるべきではありません。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。(Uコリント4:18)
聖書の中の約束の言葉をたゆまず聴き、御言葉を神の言葉として受け止め、これを強く握りしめて、信仰を持って生きるべきです。
神の民が生きる道は、信仰の道のほかにはありません。
勝利の道は、信仰の道です。闇を打ち消す道は、信仰の道です。
ペテロは、イエスの言葉を聞いて水の上を歩きましたが、信仰を失った瞬間に水の中で溺れました。
私たちは御言葉の上に立ち、信仰によって生きるべきです。これがクリスチャンの生き方です。
3 告白する言葉の変化
イエスを信じた人は、この世の言葉ではなく、神の国の言葉を用いるべきです。
イエスに出会う前は、世の激しい言葉、目の前のものに怒りをぶつける言葉、つぶやく言葉、希望のない言葉を口にしていたでしょう。
私は死にそうだ、疲れている、私の人生はつまらない。。。 そう言っている人は、自分が言った言葉のとおりになっていくのです。
ですから、積極的に、祝福の言葉、感謝の言葉、肯定的な言葉を用いるべきです。
そして神の前にいつも勝利の宣言を口にするべきです。
言葉によって運命と環境が変わります。
ひとつ、いい方法があります。
相手が否定的な言葉をひとつ口にしたら、良い言葉を五つかえすと良いのだそうです。
例えば、夫が会社でいやなことがあって、家で否定的な言葉をひとつ口にしたら、妻が「大丈夫よ」「きっとよくなるよ」「いいことがあるよ」「あなたがこれだけがんばっているのだからわかってもらえるよ」「必ず神様が助けてくださるよ」と五つ言いかえすのです。
そうすれば、夫婦も、家庭も、職場も円満に、幸福になるでしょう。
神は、私たちが口で言っている言葉をすべて聞いておられます。
神は、あなたが口で言っているようにしてあげようと言われるのです。
言葉にはエナジーがあります。いったん口から出ると、大きな力を発揮して、言葉どおりに導かれていくのです。
たとえ闇につつまれていても、闇の向こうには光があると告白すれば、光に導かれます。
悔い改めとは、神の前に心新たにすることです。
心を新たにし、神の前で信仰の告白するとき、信じたとおりに導かれます。
アブラハムは星を見て、願いは必ずかなえられ、自分の子孫がこのようになると信じました。
神はその信仰を義と認めたのです。
このようなわけで、すべては信仰によるのである。
それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。
彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。
彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。
そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。(ローマ4:16-18)
しかし、アブラハムに、すぐには何の奇跡も起こりませんでした。
奇跡が起こった時点は、彼の口からの告白が変わってからです。
信じますと口で告白したそのとき天の窓が開き、彼の人生に、祝福が見える形で与えられたのです。
口の正しい告白を通して、創造的な神のわざが成し遂げられます。
以上