「土の器の中に持っている宝」 2019.3.17

 

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。

その測り知れない力は神のものであって、

わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。

わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。

途方にくれても行き詰まらない。

迫害に会っても見捨てられない。

倒されても滅びない。

いつもイエスの死をこの身に負うている。

それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。

(Uコリント4:7-10)

 

聖書は、人は土から造られた「土の器」であると言っています。

主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。

そこで人は生きた者となった。(創世記2:7)

されど主よ、あなたはわれわれの父です。

われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。

われわれはみな、み手のわざです。(イザヤ64:8)

土の器は傷つき壊れやすく、最後には土に帰ります。

あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。

あなたは、ちりだから、ちりに帰る。(創世記3:19)

しかし、イエスを信じて生まれ変わった人は、

この土の器の中に、宝を持っていると聖書は語っています。

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。

その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、

あらわれるためである。(Uコリント4:7)

その宝とは、イエス・キリストです。

内に貴重な宝が入っている私たちキリスト者は、2つの偉大な属性を持っています。

 

第一に、患難に窮することも、途方にくれて絶望することもありません。

罪と悪が、私たちを取り囲み、滅ぼさせようとする瞬間、私たちのうちにある宝が活躍します。

土の器が壊されないように、偉大な復活の命を持って内に働いて、

罪に対して断固として勝利を宣言し振り切ることができます。

また大きな病に取り囲まれれば、内から宝が働き出して、いかなる病からも解放されます。

さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、

十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。

その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。(Tペテロ2:24)

生きる苦しみや人生の悩みに取り囲まれたときは、賛美と祈りを捧げてください。

内に神の力が働いて喜びがあふれ、必ず勝利させてくださいます。

 

第二に、キリスト者は迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びません。

キリスト者の中には、イエスを信じることで家族や親戚やから見放される人も多くいます。

そのため胸を張って生きることができず、寂しい思いをする方もおられます。

ところが後になれば、もっと大切にされ、もっと祝福される人生を生きるようになります。

歴史的に見てもキリスト教をなくそうと迫害したローマ帝国は、

後にキリスト教を国教として受け入れました。

イエスを信じることで迫害を受けることがあっても、主にあって喜んでください。

私たちの内におられるイエスという宝によって、

いつも喜びと平安に満ちて生きることができることを確信してください。

十字架のイエスを見上げ、信じ求めれば勇気と大胆が与えられ、

この世に勝利することができます。

なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。

そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。

世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。(Tヨハネ5:4-5)

人はいつか必ず死にます。どんな人も死の前では平等です。

しかし、黄泉の力が私たちに勝利することはありません。

私たちは肉体が砕けても滅びることなく、栄光のある神の国に行くことができます。

内におられるイエス・キリストの十字架の血潮の恵みによって、罪と死は無力化されるからです。

しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、

神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、

なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、

和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。(ローマ5:8-10)

 

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