「神様はなにを通して働かれるのか」 2019.3.3

 

1.神は「求めるもの」を通して働かれる

神の御業(みわざ)の通路は「祈り」です。

すなわち祈らなければ、神は御業をあらわすことができません。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。

捜せ、そうすれば、見いだすであろう。

門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

(マタイ7:7)

何事でもわたしの名によって願うならば、

わたしはそれをかなえてあげよう。

(ヨハネ14:14)
このように、私たちが求め願ってこそ、神は御業をあらわしてくださるのです。

そして求めるときは、心の中に熱い願いを持つことが大切です。

イエスは、ゲツセマネの園で祈られたとき、力をつくし、心をつくして祈りました。

汗が血の滴りとなって流れ落ちるほど、切実に祈りました。

私たちも、燃えるような熱い心で祈り求めるべきです。

このような真実な祈りが神の御座を動かし、悪しきものの陣を打ち破るのです。

 

.神は人間の「考え」を通して働かれる

パスカルが「人間は考える葦」であると言ったように、

人間は葦のように弱く小さい存在ですが、その偉大さは「考える」ところにあります。

人間の体は象やライオンより小さく弱いですが、人間の中にある「考え」は巨人です。

なぜなら人間の考えは、無限の宇宙や、はるかな海の底深くまで及び、

また微粒子や原子の世界にも入りこむことができるからです。

ですから「考え」は人間にとって非常に重要です。

考えが悪いと、その人は悪人になってしまいます。

考えが病むと、その人は病人になってしまいます。

あなたの考えが、あなたの未来を、又あなた自身をつくっていくのです。

聖書も、心の大切さを警告しています。

油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。(箴言4:23)

私はだめな人間だと思う人の未来が栄えることはないでしょう。

私は敗北者だと考える人が未来に勝利者になることはないでしょう。

あなたの真実な姿は、あなたの内の「考え」にあるのです。

あなたの考えはあなたの人生の資源となるのです。

そして神様も、あなたの考えを通して働かれます。

神はあなたの考えを通して栄光をお受けになり、その御業をあらわされるのです。

 

ですから、神に求めるものと、あなたの「考え」を一致させることが大切です。

そうしないなら、神の答えをいただくことは難しいでしょう。

いくら祈っても答えをいただけない理由は、求めるものと考えの不一致にあるのです。

祝福を求めた後、絶望的な人生を考えてはいけません。

成功を求めた後、失敗を考えてはいけません。

健康を求めた後、病気の中で苦しむことを考えてはいけません。

今この瞬間から、みなさんの祈りと考えを一致させましょう。

家族の救いを求めたら、家族と一緒に礼拝することを考えるべきです。

病のいやしを求めたら、病気が完全に治って元気に歩くことを考えるべきです。

仕事のために祈ったなら、仕事がうまくいくと考えるべきです。

子どもの成功を祈ったら、子どもが羽ばたいている姿を考えるべきです。

そうすることで、神様は私たちのために働いてくださることができるのです。

すべての祝福は、私たちの「考え」から出発します。

私は健康である。私はできる。私は神に守られた人生を生きるのだ。

というふうに、祈りの中で考えが変えられるとき、神はよろこんであなたを祝福されるでしょう。

 

3.神はわたしたちの信仰を通して働かれる

聖書は、神は「わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さる」(エペソ3:20)方であると語っています。

つまり神は準備した器にちょっとだけ盛るような方ではなく、あふれるようにしてくださるのであり、それを心から信じるべきです。

わたしはエジプトの国から、あなたをつれ出したあなたの神、主である。

あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。(詩編81:10)

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。

あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。

わたしの杯はあふれます。(詩篇23:1、5)

わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。(ヨハネ10:10)

ですから、あなたは自分の問題だけでなく、

家族のために、兄弟の健康のために、子どもの将来のために、

仕事のために、社会のために、教会のために、福音伝道のために、

もういくらでも、神の前にはばかることも遠慮することもなく求めることができるのです。

私たちの神様はまことに良い神様です。

辛子種ほどの小さな信仰があれば、それを30倍60倍100倍に増やし祝福し叶えてくださる方です。

いったい誰がこのような神様に、良い神様ではないといえるでしょうか。

神は宇宙万物を美しく創造され、最後に人間をご自身の姿に造られました。

ですから神は私たち人間を特別に祝福してくださいます。

しかしすべての人は罪びとであるゆえに悪しきものに惑わされるときがたびたびあります。

捨てられて永遠に滅びても仕方がない罪の中にいます。

にもかかわらず、神は御子キリストを世に遣わし、罪の中にいる私たちを十字架の血潮できよめ、

放蕩息子のような私たちを神の子として受け入れてくださいました。

パウロはこう語っています。

ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、

どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。(ローマ8:32)

ご自分の姿に似せられて造った人間を、どんなことがあっても愛し、いつまでも待っておられる。

神が良い神様であることについて、これ以上何を言ったらいいでしょうか、何の証拠が必要でしょうか。

神は御業をあらわすことを願っています。

祈りが答えられないなら、わたしたちの神様は良い神様であることを、心から信じるべきであります。

私たちは問題だらけの人生を生きています。

しかし、問題だけを見れば問題から抜け出すことはできません。

では問題の中で何をみるべきでしょう。聖書は何と言っていますか。

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。(ヘブル12:2)

問題ではなく、イエス様を見るのです。

十字架の上で釘つけられ、私たちの身代わりに罪を背負って死なれたイエス様、

わたしたちに安息と治療を与えてくださるイエス様を見あげるのです。

イエス様は完全な方です。完全であるゆえに、私たちの足りないところを補い完全にしてくださいます。

信仰を持って進み出ましょう。

あなたの求めるとおり、考えるとおり、信じたとおりに神はあなたを祝福します。アーメン!

 

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