「試みに打ち勝つ信仰」 2019.2.17

 

作家のCSルイスは、

「苦しみは、

耳が聞こえない者を呼び覚ます

神のメガホンである」

と言いました。

苦しみを受けることで、

神の言葉に耳を傾けようとしない人生が、

神の言葉を聞く人生に変わります。

苦しみを受けてこそ、

人は悔い改めるのです。

放蕩息子の話では、

彼は放蕩の果てに全てをなくし、

飢え死にする手前まで行きましたが、

苦しみの中で悔い改めて本心に立ち返り、

父の元に帰りました。

苦しみは、先生となったのです。

苦しみにあったことは、わたしに良い事です。

これによってわたしはあなたのおきてを

学ぶことができました。

(詩篇119:71)

ですから、

苦しみにあわずに生きることを願うのは、

祝福を失うことを願うことになってしまいます。

苦しみに対決して打ち勝つとき、

神の祝福を体験できます。

苦しみは神の偉大な贈り物に変わります。

 

私たちが経験する苦難には、

二つの種類があります。

ひとつは、神が与えてくださる試みであり、

もうひとつは、悪しきものが与える試みです。

神が与える試みは、信仰を成長させ、

神の国の祝福を与えてくださいます。

悪魔の試みは、あらゆる手を用いて

人間の弱点を見つけ出し、

罪と悪の中に陥れ、破滅させようとします。

では、試みが近づいてきたとき、

どのように対処すれば、勝利し、

神の祝福を受けることができるでしょうか。

聖書の中に、代表的な二つの事例が

記録されています。

 

<@神からの試練への対処>

これらの事の後、

神はアブラハムを試みて彼に言われた、

「アブラハムよ」。

彼は言った、「ここにおります」。

神は言われた、「あなたの子、

あなたの愛するひとり子イサクを連れて

モリヤの地に行き、わたしが示す山で

彼を燔祭としてささげなさい」。

(創世記22:1-2)

息子のイサクを燔祭として捧げるようにと、

アブラハムは、神様から言われました。

ふつうなら、神様ひどいです、

目に入れても痛くない息子の命を、

どうして捧げることができるでしょうと、

神に反発するかもしれません。

しかし、アブラハムはそうしませんでした。

なぜなら、アブラハムは、

以前に神からいただいた言葉、

その約束を、堅く信じていたからです。

神は言われた、

「いや、あなたの妻サラは

あなたに男の子を産むでしょう。

名をイサクと名づけなさい。

わたしは彼と契約を立てて、

後の子孫のために永遠の契約としよう。」

(創世記17:19)

アブラハムは試みを受けたとき、

この約束の御言葉に堅く立っていたので、

その結果、神が与えてくださった試みに

打ち勝ったのです。

試練の中で探し求めるべきは、

神の御言葉だけです。

信仰によって、アブラハムは、

試錬を受けたとき、イサクをささげた。

すなわち、約束を受けていた彼が、

そのひとり子をささげたのである。

この子については、

「イサクから出る者が、

あなたの子孫と呼ばれるであろう」

と言われていたのであった。

彼は、神が死人の中から

人をよみがえらせる力がある、

と信じていたのである。

だから彼は、いわば、

イサクを生きかえして渡されたわけである。

(ヤコブ11:17-19)

 

<A悪魔からの誘惑への対処>

さて、イエスは御霊によって

荒野に導かれた。

悪魔に試みられるためである。

そして、四十日四十夜、断食をし、

そののち空腹になられた。

すると試みる者がきて言った、

「もしあなたが神の子であるなら、

これらの石がパンになるように

命じてごらんなさい」。

イエスは答えて言われた、

「『人はパンだけで生きるものではなく、

神の口から出る一つ一つの言で

生きるものである』と書いてある」。

それから悪魔は、

イエスを聖なる都に連れて行き、

宮の頂上に立たせて言った、

「もしあなたが神の子であるなら、

下へ飛びおりてごらんなさい。

『神はあなたのために

御使たちにお命じになると、

あなたの足が石に打ちつけられないように、

彼らはあなたを手でささえるであろう』

と書いてありますから」。

イエスは彼に言われた、

「『主なるあなたの神を試みてはならない』

とまた書いてある」。

次に悪魔は、

イエスを非常に高い山に連れて行き、

この世のすべての国々と

その栄華とを見せて言った、

「もしあなたが、

ひれ伏してわたしを拝むなら、

これらのものを皆あなたにあげましょう」。

するとイエスは彼に言われた、

「サタンよ、退け。

『主なるあなたの神を拝し、

ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

そこで、悪魔はイエスを離れ去り、

そして、御使たちがみもとにきて仕えた。

(マタイ4:1-11)

このように、悪魔は3度にわたり、

イエスを試みましたが、

イエスは、聖書(申命記)の御言葉で

立ち向かいました。

注目すべきは、悪魔も御言葉を引用した点です。

しかしイエスは、さらに御言葉で切り返し、

悪魔の試みを断固として退けました。

敵である悪魔は、あらゆる手をつかって試み、

人生を盗み、殺し、滅ぼそうとします。

御言葉の剣で立ち向かわないといけません。

神は御言葉を通して働かれるからです。

 

試みは、吠えたけるししのように恐ろしい顔で、

時には、ほほ笑みながら近付いてきます。

身を慎み、目をさましていなさい。

あなたがたの敵である悪魔が、

ほえたけるししのように、

食いつくすべきものを求めて

歩き回っている。

この悪魔にむかい、

信仰にかたく立って、

抵抗しなさい。(Tペテロ5:8-9)

試みが近づいてきたときは、

御言葉を握りしめて祈ってください。

人生の戦いは、人間ではなく、

霊の世界によって左右されるのです。

御言葉の剣を持って敵に立ち向かってください

悪魔の策略に対抗して立ちうるために、

神の武具で身を固めなさい。

わたしたちの戦いは、

血肉に対するものではなく、

もろもろの支配と、権威と、

やみの世の主権者、

また天上にいる

悪の霊に対する戦いである。

それだから、悪しき日にあたって、

よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、

堅く立ちうるために、

神の武具を身につけなさい。

すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、

正義の胸当を胸につけ、

平和の福音の備えを足にはき、

その上に、信仰のたてを手に取りなさい。

それをもって、悪しき者の放つ

火の矢を消すことができるであろう。

また、救のかぶとをかぶり、

御霊の剣、すなわち、

神の言を取りなさい。

(エペソ6:11-17)

長年、教会に通い礼拝に出席しながら、

この世において勝利できないなら、

霊の世界を知らず、

霊の世界に入っていかないからです。

聖書の御言葉を戦いの武器として用いるとき、

霊の戦いにおいて勝利できます。

御言葉に従って主の名を呼び求めるとき、

奇跡が起こってしまうのです。

 

いかなる試みも、

御言葉に堅く立って、

忍耐して勝利しなければなりません。

試みから逃げてはなりません。

目をそらしてはなりません。

神は、神を愛するものたちと共に働いて、

万事を益としてくださることを忘れずに、

御言葉に堅く立って祈り、

勝利と癒しに導かれる皆さんとなるよう、

主の名で祝福します。

 

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