「なにを見つめるべきか」 2019.1.27
なにを見つめるかで、
運命と未来は大きく変わります
善悪の木を見つめた結果、
アダムとエバは神に反逆する者となり、
子孫であるすべての人類は、
その刑罰の中で生きるしかない
存在となりました。
女がその木を見ると、
それは食べるに良く、
目には美しく、
賢くなるには好ましいと
思われたから、
その実を取って食べ、
また共にいた夫にも与えたので、
彼も食べた。
彼らはその結果、
神に反逆し堕落した。
(創世記3:6)
正しいものを見つめれば幸せな人生に、
間違ったものを見つめれば
破滅に向かいます。
今日は、それをアブラハムと
ロトの話を通して
お話したいと思います。
1.ロトが見つめたもの
アブラハムと、
甥ロトには多くの財産がありました。
そのため家畜が食べる牧草地が
限られてしまい、
たびたび争いが起こるようになりました。
その地は彼らをささえて
共に住ませることができなかった。
彼らの財産が多かったため、
共に住めなかったのである。
アブラムの家畜の牧者たちと
ロトの家畜の牧者たちの間に争いがあった。
そのころカナンびととペリジびとが
その地に住んでいた。
(創世記13:6-7)
そこで、アブラハムはロトに、
ある提案をしました。
「わたしたちは身内の者です。
わたしとあなたの間にも、
わたしの牧者たちと
あなたの牧者たちの間にも
争いがないようにしましょう。
全地はあなたの前に
あるではありませんか。
どうかわたしと別れてください。」
(創世記13:8-9)
このように、アブラハムはロトに、
別れて別々のところに住もうと提案し、
アブラハムは、ロトに土地を選ばせました。
「あなたが左に行けば
わたしは右に行きます。
あなたが右に行けば
わたしは左に行きましょう」。
こういわれたロトは、
人間的な欲が生まれました。
ロトが目を上げて
ヨルダンの低地をあまねく見わたすと、
主がソドムとゴモラを
滅ぼされる前であったから、
ゾアルまで主の園のように、
またエジプトの地のように、
すみずみまでよく潤っていた。
そこでロトはヨルダンの低地を
ことごとく選びとって東に移った。
こうして彼らは互に別れた。
アブラムはカナンの地に住んだが、
ロトは低地の町々に住み、
天幕をソドムに移した。
(創世記13:10-12)
ロトは、肉の思いで見つめた土地を
選び取りました。
そして間違った目で見つめた結果、
大きな損失を受けるようになりました。
彼が住んだソドムには悪がはびこり、
神に滅ぼされました。
ロトの家族は命からがら
逃げ出すことができましたが、
逃げる途中、ロトの妻は富に執着し、
主の言いつけを守らず後ろを振り返って
見てしまったので、
塩の柱になって死んでしまいました。
2.アブラハムの見つめたもの
アブラハムがロトと別れた後、
アブラハムは神の語りかけを聞きました。
「目をあげてあなたのいる所から
北、南、東、西を見わたしなさい。
すべてあなたが見わたす地は、
永久にあなたと
あなたの子孫に与えます。
わたしはあなたの子孫を
地のちりのように多くします。
もし人が地のちりを
数えることができるなら、
あなたの子孫も
数えられることができましょう。
あなたは立って、
その地をたてよこに行き巡りなさい。
わたしはそれをあなたに与えます」。
(創世記13:14-17)
ロトは欲の目で土地を見つめましたが、
アブラハムは信仰の目で見つめました。
その結果、多くの祝福を受け、
代々に続く、尊敬される
信仰の先祖となったのです。
神がアブラハムに適用されたのは、
「見つめる法則」です。
もし見つめる法則が何の効果もないなら、
神はアブラハムに
土地を見渡すように言うことも、
見渡す地を与えると言うことも
なかったでしょう
神が見つめるように言われたことは、
見つめる法則に大きな力がある、
効果があることを示しています。
願いが成し遂げられることを切に願うなら、
見つめる法則を用いるべきです。
ある瞬間、霊の目の中に、
連想されて浮かびあがり、
自分自身がその中に入って、
自分自身が見つめたものを手に入れ、
成し遂げられたその祝福の中で、
それを楽しむ自分の姿を
見るようになります。
これが継続して
心の中で起こるようになると、
その見つめるものが、
みなさんを
引っ張ってくれるようになります。
これが偉大な見つめる法則です。
私たちは無意識のうちに、
見つめる法則の適用を受けています。
TVや雑誌を通して企業が宣伝しているのは、
見つめる法則を通して、
人々を引っ張るためです。
このように見つめる法則は、
良いことにも、そうでないことにも
適用が可能です。
正しく用いるには
どうすればよいでしょうか。
まず、はっきりとした目標を持って
見つめるべきです。
億万長者になりたい、
青春を取り戻したいと夢を見ても、
現実化されません。
見つめる法則を正しく用いるには、
現実的、計画的な、
はっきりした目標意識を持って
見つめることが大切です。
そして、熱い思いをもち、
成しとげられることを疑わずに信じ、
成しとげた姿を心に連想するのです。
そこで、あなたがたに言うが、
なんでも祈り求めることは、
すでにかなえられたと信じなさい。
そうすれば、
そのとおりになるであろう。
(マルコ11:24)
パウロは、
神は万事が益となるよう働いてくださる
と、言いました。
神は、神を愛する者たち、
すなわち、ご計画に従って
召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、
わたしたちは知っている。
(ローマ8:28)
この御言葉の意味は、
神は私たちが祝福を受けること、
健康となることを願い、
幸福へと招いてくださっている
ということです。
だから私たちは、
この約束を信仰によって握りしめて、
万事は必ず益となることを信じ、
確信もって祈るべきです。
アブラハムは、みなさんと比べて
特別に優れていたわけではありません。
何か良い行いをしたのでもありません。
彼が祝福されたのは、
神の招きにこたえたからです。
みなさんも、
みなさんが教会に来たのではなく、
神がみなさんを祝福するために、
万事を益とするために、
教会に招いてくださり、
あなたがその招きにこたえたのです。
神がわたしの人生のすべてを益とするために
招いてくださっている。
そのような信仰を持つ人を、
神は祝福されます。
自分は健康になるはずがない、
長生きできるはずがないと思うなら、
何の効果もあらわれないでしょう。
みなさんが正しい信仰を持ち、
自信を持って、
神がどれだけ
自分を愛してくださっているか、
これほど私を愛してくださっている、
ひとり子を賜るほどに
愛してくださっている、
だから私の人生は、
万事を益としてくださる神の
祝福にあずからないはずがないと
確信しなければなりません。
そのような信仰を持って、
小さなことから大きなことまで、
見つめる法則を用いてください。
そのとき重要なのは、
聖書の御言葉を約束として
握りしめて祈ることです。
キリストの十字架を見つめてください。
十字架を通して与えて下さった
治療を連想し、
心にイメージを描いてください。
そのとき、あなたの信仰通りになれと、
主は祝福してくださるでしょう
十字架を見つめることで、
問題が多くても、自分が弱くても、
罪をゆるし、
勝利と癒しを与える主の恵みが、
あなたの魂に、体に、生活に
流れてくるでしょう。