「この恵みのわざにも富んでほしい」 2019.1.13

 

兄弟たちよ。わたしたちはここで、

マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、

あなたがたに知らせよう。

すなわち、彼らは、

患難のために激しい試錬をうけたが、

その満ちあふれる喜びは、

極度の貧しさにもかかわらず、

あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。

わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、

否、力以上に施しをした。

すなわち、自ら進んで、

聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、

わたしたちに熱心に願い出て、

わたしたちの希望どおりにしたばかりか、

自分自身をまず、

神のみこころにしたがって、主にささげ、

また、わたしたちにもささげたのである。

そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、

すでに始めた以上、またそれを完成するようにと、

わたしたちは彼に勧めたのである。

さて、あなたがたが

あらゆる事がらについて富んでいるように、

すなわち、信仰にも言葉にも知識にも、

あらゆる熱情にも、また、あなたがたに対する

わたしたちの愛にも富んでいるように、

この恵みのわざにも富んでほしい。

こう言っても、

わたしは命令するのではない。

ただ、他の人たちの熱情によって、

あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。

あなたがたは、

わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。

すなわち、主は富んでおられたのに、

あなたがたのために貧しくなられた。

それは、あなたがたが、

彼の貧しさによって富む者になるためである。

(Uコリント8:1-9)

 

物質は、生活を豊かにし、

束縛から自由になれるという

利点も持っています。

私たちは豊かな国に住んでいるので忘れがちですが、

世界には食料がなくて死んでいく人々が多くいます。

それは貧しさによる悲劇です。

神様は貧しさを創造されなかった。

豊かな土地エデンを人間のために創造されました。

それにも関わらず、貧しさがあるのは、

アダムとエバの反逆によって、

罪の審判を受けたからです。

神様は、豊かな物質の恵みを与えることを

願っておられます。

私たちは、神の恵みを受けて、

人間らしい人生を生き、

その恵みを家族、兄弟姉妹、

隣人にも分け与える

神の子どもとなるべきです。

では、そのような恵みを受けるには、

どうしたらよいのでしょうか。

 

第一に、受けることのできる器を準備することです。

器がなければ、天から恵みの雨が降ってきても、

受けることができません。

 

器には二種類あります。

一つは、神に恵みを求めることです。

ただし、どん欲にならないよう注意が必要です。

神様、何々してください!と祈ることは、

すばらしいことです。

しかし、自分のどん欲を満たすために

求めることがないよう注意が必要です。

また、恵みをいただいても、

神に栄光を返すことを忘れてはなりません。

物質が罠となって破滅する危険もあるからです。

あなたがたは、むさぼるが得られない。

そこで人殺しをする。

熱望するが手に入れることができない。

そこで争い戦う。

あなたがたは、求めないから得られないのだ。

求めても与えられないのは、

快楽のために使おうとして、

悪い求め方をするからだ。

(ヤコブ4:2-3)

 

もうひとつの器は、先に捧げることです。

イエスはこう言われました。

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、

人々にもそのとおりにせよ。

これが律法であり預言者である。

(マタイ7:12)
優しくしてほしいなら、

まず自分から優しくすることです。

そうすれば、優しさが帰ってきます。

愛を受けたかったら、

まず愛することです。

優しい嫁になってほしかったら、

嫁に優しく接することです。

種をまき、刈り取る法則です。

信仰生活においても、

祝福を受ける器を、

先に捧げることで準備するのです。

与えよ。

そうすれば、自分にも与えられるであろう。

人々はおし入れ、ゆすり入れ、

あふれ出るまでに量をよくして、

あなたがたのふところに入れてくれるであろう。

あなたがたの量るその量りで、

自分にも量りかえされるであろうから。

(ルカ6:38)

『受けるよりは与える方が、さいわいである』

(使徒行伝20:35)

まごころをもって神に捧げるとき、

あふれるほどに器を満たしてくださいます。

神様は、あなたの口を広く開ければ、

それを満たすといわれました。

あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。

(詩篇81:10)

口を広く開けるとは、

ただ期待を大きくして待つこととは限りません。

先に捧げることが、

口を広く開けることになるのです。

五つのパンと二匹の魚の奇跡のときも、

少年が先に捧げたことで、

主は奇跡を行われました。

捧げることを喜ぶとき、

神は奇跡を起こされます。

 

神に祈り、捧げ、仕えることが信仰の根本姿勢です。

そのようにするとき神との交わりも正常化し、

祈りが妨げられることはありません。

わたしたちの魂が恵まれ、

すべてが恵まれ、

健やかであること。

この三拍子の祝福は、切実な神の御心です。

この恵みは、

私たちの信仰の姿勢を通して成し遂げられます。

愛する者よ。

あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、

あなたがすべてのことに恵まれ、

またすこやかであるようにと、

わたしは祈っている。

(Vヨハネ1:2)

 

以上

 

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