「悔改めよ、天国は近づいた」 2016.12.4
イエスは御霊によって荒野に導かれ、40日40夜断食をして空腹になられたとき、試みを受けました。
イスラエルの民は40年間、荒野で過ごしましたが、聖書の中で、40年、40日ということばが出てくるときは試みのときであります。
しかしそれは、試みと同時に神の啓示を受けるときでもあります。試みの中で神の啓示を受けることには深い意味があります。
聖書は、イスラエルの民の40年間の荒野での試みのときを、「育み」のときであったと記しています。
この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。(使徒13:17-19)
このように試みは、実は「育み」です。育みとは、神様が守り導いてくださり、特別な愛情を注ぐという意味です。
ですから、イスラエルの民が試みに会った40年間は、神が目をかけ世話をしたときでもあるのです。
さて、イエスは次の言葉から福音宣教を開始されました。
この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。(マタイ4:17)
天国の本店は、私たちがこの肉を離れ、やがて行くべき永遠の場所です。
天国の支店は、この地上における私たちの生活の場にあります。聖霊様は、聖徒たちを通してこの地上に神の国の支店を拡張されるのです。
それでは、神の国は、どのようにして拡張されていくのでしょうか。
神の国の基盤は「治療」にあります。だからイエスは福音をのべ伝えるとき、病の癒しを通して神の国を見て聞いて体験するようにされたのです。
聖徒は、悪しき力を人生から追い出し、病を追い払うことで神の国を拡張する者にならなければなりません。
イエスは“信じる者”は癒しのしるしが伴うと言われました。
信じる者には、このようなしるしが伴う。
すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。
また、毒を飲んでも、決して害を受けない。
病人に手をおけば、いやされる。(マルコ16:17-18)
癒しの恵みはイエスの時代に限られるものではありません。「信じる者」は過去にも未来にもいるからです。
神の国は、信じる者によって拡張されます。信じる者を通して、神はご自身の栄光を表されるのです。
ですから、私たちは癒しを信じて祈るべきです。心配はいりません。主は癒し主だからです。
わたしは主であって、あなたをいやすものである。(出エジプト15:26)
しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。(マラキ4:2)
私たちを聖なる神の宮として臨在されている聖霊様がおられるので、私たちは必ず勝利することができます。
世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。(Tヨハネ5:5)
みなさんは自分や家族の健康のために祈っていますか。毎日、一日一回は健康のため、家族のために祈らなければなりません。
癒されるためには、義人の祈り、信仰の祈りが必要です。
あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。
あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。(ヤコブ5:13-15)
義人の祈りとは、欠点を持っていない人の祈りという意味ではなく、イエスが十字架で罪の対価を支払い、私を救い、癒してくださった事実を信じる人の祈りです。
信仰の祈りとは、漠然とした期待ではなく、疑いを持たない確固たる祈りです。
御心ならば・・・実現すればいいな・・・と祈るのではなく、「主よ癒してください、私は健康でなければ困ります!」と切実に祈るべきです。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(ヘブル11:1)
イエスは昨日も今日もいつまでも変わることなく、癒すことを願っておられます。
このような主の思いをおろそかにすれば、主の愛と慈悲をおろそかにすることになります。
礼拝では、病んでいる部分を神の前に全て明らかにして祈りましょう。皆さんには、ここに来ていない家族に代わって御霊の力を借りて癒される恵みの特権が与えられているので、家族の健康のためにも祈りましょう。
治療のない天国を伝えることは、口先だけの福音にすぎません。天国の基盤となる治療の恵みを知り、悟り、イエスの名によって勝利する生活をするとともに、神の国をのべ伝える力ある信仰者となることを主の名によって祈ります。
以上