「心の畑」 2016.10.30
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、
見よ、種まきが種をまきに出て行った。
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。(マタイ13:3-8)
作物の収穫を得るためには、良い土壌が必要です。
それと同様に、人生において豊かな収穫を得られるかどうかは心の畑が良い土壌かどうかによります。
神様は必ず人の心を通して働かれるからです。
「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ3:2)というみことばは、心が砕かれて悔改めれば、神の国がその心を通して私たちのうちに臨むという意味です。
だから、心を守ることはとても大切なのです。
油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。(箴言4:23)
1.道端の心
だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。
道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。(マタイ13:19)
道端に落ちた種は、人々が行ったり来たりしながら踏みつけます
その種に関心を持ちません。それどころか鳥のえさになってしまいます。
道端のような心は、みことばを聞いても神の恵みを数えることができません。
だから、神様のみわざも起こりません。
2.石地の心
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。(マタイ13:20-21)
石地は土が深くないので、種が落ちても根が延びていかず、すぐ枯れてしまいます。
このような信仰は、福音を聞いたときは喜びますが、神様を信頼できず、家族からの反対や回りの環境から苦しみがやってくれば、簡単に信仰を捨ててしまいます。
神様からの祝福をいただき豊かな実を結ぶには、神様に対する信頼と従順が伴わなければならないのです。
3.いばらの心
いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。(マタイ13:22)
いばらの心の人は、片方の足は教会、もう片方の足はこの世に置いているので信仰が成長しません。
目の欲、肉の欲、この世の自慢などの雑草が茂り、神の国が入ってくる隙間がほとんどありません。
このような人は、お金を少し稼ぐようになったり、権力を身につけるようになると、この世の奴隷となり神の国には無関心になっていきます。
貪欲と欲心の畑にまいた種は、少しずつ死んでいきます。神様のみことばを植えても実を結びません。
信仰の誘惑でもっとも大きなものはお金の誘惑です。お金の誘惑は、この世の欲望に心を奪われるようにします。
いばらの雑草を燃やし、土を耕すことなくして、正しい信仰生活を期待することはできません。
4.良い地の心
良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである。(マタイ13:23)
良い心は、悔改めて神中心に立ち返る心です。
このような人は、みことばを聞き、これをしっかりと守り、耐え忍びます。福音の真理を受け入れ、真理を悟り、救いの確信を得るので、信仰の実を多く結びます。
私たちの心は、悔改めて耕されることで、よい畑になって行きます。
このような人は、すべてを神様にゆだね、中心が揺れ動くことがありません。
これが、神が求めておられる心です。
いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。(イザヤ57:15)
私たちの人生には優先順位があります。先に求めるべきものを先に求め、後に求めるべきものを後に求めるのです。
すなわち、まず神の国と神の義を求めるよい心の畑に、神の約束のみことばがまかれるようになれば、いかなる望みであっても主は100倍60倍30倍の豊かな実を結ぶことができるように祝福してくださいます。
以上