「人生は夢見るものに与えられる」 2016.10.9

 

時に主はアブラムに言われた、

「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。

あなたは祝福の基となるであろう。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。

地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。(創世記12:1-3

 

1.アブラハムの夢

信仰の父と呼ばれるアブラハムは、主のことばを聞き、彼は主が言われたように住み慣れた町を出ました。

信仰とは、神様のみことばを聞き、これに従うことです。従わない者には信仰の世界は始まらないといっても過言ではありません。

小さなことにも従おう、従いたいというところから信仰は始まります。

アブラハムは、はじめは神様のみことばに従って出発しましたが、現実の厳しさのゆえに心が揺れ動き、己の道を歩み出してしまいました。これは信仰者が出会う危機であります。

信仰の父と呼ばれるアブラハムでさえも迷いと失敗があったのです。そのような失敗を繰り返しているそのアブラハムを神様は決して見放さなかったというところに、私たちは希望を持つことができます。

主は、決して私たちを見放すことのない愛なる方です。この世に私たちを恵まんとして選びたまいし主の腕は不信の者たちを引き寄せ、み翼のもとに育みたもうのです。

 

2.夢が人生を引っ張っていく

私たちは、自分が夢を引っ張っていくと考えがちであり、そのため一生懸命その夢を引っ張っていこうと汗をかきます。

しかし、これは逆です。人間が夢を引っ張るのではなく、夢が人間を引っ張っていくのです。

神様は、夢を通して私たちの人生を祝福へと導いてくださいます。

神様は、アブラハムが75歳のときに子孫が与えられるという、偉大な夢を与えました。

アブラハムは主を信じました。現実的にみれば与えられた約束は信じがたいものでしたが、アブラハムはみことばを信仰を持って受け入れ、それを夢として心に描きました。

主はこれを彼の義と認められ、100歳になったときに子イサクが生まれ、子孫たちにはカナンの地が与えられました。

私たちは様々な心の願いを持っています。この病気がいやされればどんなにいいだろうか。人生を生きれば悩みは絶えることがありません。

しかし皆さん、私たちの置かれている現実がいかなるものであっても、神様のことばは私たちの世界から出たのではなく、神様の可能性の上に立ち、神様みずからのみこころから発せられたものです。

「恐れることはない。ただ信じなさい」(マルコ5:36と主が言われたように、どんな時もみことばを何よりも確かなものとして信頼していくところに信仰者の生き方と人生の成功の秘訣があります。

神は自らの可能性を通して祝福を与え、豊かな実を結ばせてくださるのです。夢を捨てる人は滅びます。夢のない民は滅びます。私たちはいかなる状況下でも夢を捨ててはなりません。

神様がともにおられ、私に関心を持ち、私に良いことをなされるという夢を持ち、与えられた人生を全うしたいと思うのであります。

 

3.神様の夢

イエス・キリストは、十字架につけられ、体を裂かれ、血を流し、人類のすべての罪を清算してくださいました。

また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。(黙示録1:5-6

こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。(ローマ8:1-2

十字架を通してあらわれた神様の夢は、信じる者が救われることであり、病に苦しむものが健康になることです。

私たちがイエスを救い主、いやし主として迎え入れるとき、神様の夢が私たちの内に信仰を通して働いて、罪ゆるされ義とされます。神の愛が私たちの心に溢れるようになり、人生の中に神の国がのぞみます。そして、神が私たちの内におられて、また私たちが神の内にいるようになります。

このようにして、私たちは、神の子どもとして「魂がめぐまれ全てが恵まれ健やかになる」祝福の人生を歩んでいけるのです。

 

以上

 

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