「すべての事について感謝しなさい」 2016.8.14
Tテサロニケの五章1節からは、主の再臨の時期について記されています。
兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。
あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。(Tテサロニケ5:1-3)
つまり、主がいつ来るのかは誰にもわからない、ということです。
だから、私たちは、備えるのです。いつ来られるか分かりませんが、必ず主は再び来臨され、私たちは神の前に立つのです。
ゆえに、私たちはほめられても有頂天になる必要もなければ、けなされてもダメ人間と思う必要もありません。
偽りがまかり通るこの世において、精一杯、誠実に、真実に、忍耐をもって、神に手を合わせて祈りある生活を送る。それは、いつかは分からないけれども必ずその日は来るという再臨信仰に立ったとき、可能となります。
神がみこころに留めておられる魂であるならば、人の中傷を恐れる必要はありません。人がどんな目で自分を見ても、気にする必要はないのです。
人を恐れ、人の言葉に左右されるのは、主の再臨を本気で信じていないからです。徹底してそれを信じるなら、現実がいかようであっても平安が与えられます。
そういう意味において、再臨を忘れずに生きることは、現在の生活に大きな影響を及ぼすのです。
しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。
眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。
しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。
キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。(Tテサロニケ5:4-9)
Tテサロニケの五章11節からは、日常生活における勧めが記されています。
そして、18節には、私たちが人生において直面するすべてのことについて感謝するようにと勧めています。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。(Tテサロニケ5:18)
第一に、私たちは与えられている条件や環境に感謝すべきです。
こんな話があります。
「ある村に温泉と冷泉の二種類が湧き出ていた。村人は、熱い湯で洗濯物を洗い、冷たい水ですすぎます。
このような恵まれた環境を、村人たちは、さぞ感謝していることだろう。と、思いきや、さにあらず。
彼らは口々に、『神様はなぜ石鹸の湧く泉をくださらなかったのだろう。それがないから不便だ』と、つぶやいているのでした。」
私たちの感謝は、外的条件にあるのではなく、内的条件つまり私たちの心の姿勢にかかっているのです。
与えられた祝福を数えて感謝し、それを大切にし、喜び、楽しむべきです。
感謝こそ、私たちの魂がゆたかになる神様の恵みです。
第二に、日常の平凡なことに感謝するべきです。
私たちは自分自身に感謝することを忘れています。私たちは全能の父なる神様が心をこめて造られた最高の神の作品です。
例えば、ひとりの人間の中には100兆もの細胞組織と25兆の赤血球と白血球があり、心臓は一日300リットル、一生で200万リットルの血を体内に送り、29億回拍動しているのです。どれだけ高度な科学時技術があっても、これを人工的に造ることはできないでしょう。
あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
わたしはあなたをほめたたえます。
あなたは恐るべく、くすしき方だからです。
あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。(詩篇139:13-14)
みなさん、私たちが存在し、生きていること自体が奇跡です。つまり平凡な人生そのものが奇跡であり、神の愛の結晶であり、感謝の根源なのです。
第三に、悪い出来事にも感謝するべきです。
平凡なことにさえ感謝できない私たちが、悪いことに感謝できるでしょうか。
聖書に次のように記されています。
わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。
わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。(ピリピ4:11-13)
私たちは、以前は感謝できませんでした。しかし、神に栄光を帰する救いの恵みにあずかっている今は、心が感謝へと歩みだしています。
そして、感謝すると、不思議なことに、その感謝が呼び水となって、更なる感謝があふれてきます。
私たちの感謝は、根拠のない漠然としたものではありません。
闇から光を呼び出し、無から有を生み出される創造主なる神様に根拠した感謝です。
神様は、良いことも悪いことも「万事を益となるようにして下さる」方なのですから、この方を信頼するときに、私たちはすべてのことについて感謝することができるのです。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(ローマ8:28)
だから、あなたの絶望は、神の証明になります。あなたの弱点は、新しい感謝を生みます。
すべてに感謝することができれば、一日一日が喜びと幸せに満ちた日々になるでしょう。
以上