「神様の里程標」 2016.7.24

 

使徒パウロは、自分の肉体にはひとつの「とげ」が与えられたと語っています。

そのとげは、何らかの病気であったと思われますが、具体的には記されていません。いずれにしても、そのとげはパウロを苦しめました。

そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。

それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。(Uコリント12:7)

パウロは神の大きな恵みを受けた人物です。しかし、彼も肉体を着ているゆえに知らない内に高慢な心になるときがありました。

そこで神様はパウロにとげを与えることを許し、彼はとげの痛みを通して、さらに神に信頼され愛される人へと変えられたのです。

このように、とげは、痛みを与える道具であると同時に、滅びることのないようにする装置であるといえます。高慢にならず、恵みにとどまるようにする、すべての人に必要なものなのです。

 

確かにとげは苦しいものです。私たちは、とげの痛みに耐えなければなりません。

とげに耐える方法とは何でしょうか。それは、神に従順することです。

とげは、神に不従順になれば刺してきますが、神に従えば無力になります。

ですから、とげが刺すときは、不従順を悔改めることが必要です。そして、神と共に歩み、人をゆるす心を持って生きるのです。

ところが、サタンは祝福をねたみ、とげで刺し、神を恨みつぶやくように働きます。

ですから、とげが刺すときに決してつぶやいてはなりません。むしろ、神の前にもっと感謝を捧げ、恵みを失うことのないようにするべきです。

聖書は、すべてのことに感謝しなさいと言っています。これは、祝福の通路をふさがないようにするためなのです。

 

パウロは、とげについて、さらにこう語っています。

このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。

それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。

なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(Uコリント12:8-10)

パウロは、とげを取り去ってくださいと再三祈ったのに、かなえられませんでしたが、彼はそれを喜んでいると、逆説的に告白しています。

なぜなら、自分の弱さを認めて神に従順することができ、神のなぐさめを体験し、神を見上げ、神に信頼し、自分の力ではなく神の力があらわれるという、信仰の勝利を経験したからであります。

人生に、とげはついてまわります。たえず刺され、痛みがあります。しかし、そのたびに、高慢にならずパウロが体験した信仰の勝利を得られるのです。

とげには色々あります。自分の性格がとげになることもあるでしょう。生活環境、職場の人間関係、家族がとげになることがあるかもしれません。

しかし、どんなとげでも神の前で自分を低くして祈るなら、神様は万事を益としてくださいます。

とげを通してやってくる、もっと大きな祝福を受けることができますように。

 

以上

 

「交野ベタニヤ教会」ホームへ

 

 

 

 

1 1