「試練は祝福の前奏曲」 2016.5.22

 

人生は晴れた日だけではありません。風の日も、激しい雨の日もあります。それが人生です。信仰生活も同様に、喜びの日もあれば、試練の日もあります。

聖書は、試練に会った場合、喜ばしいことだと思うよう勧めています。

わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。

あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。(ヤコブ1:2-4)

また、聖書は、試練は神様が私たちを愛するゆえの訓練であると言っています。

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。(ヘブル12:7-8)

 

試練に会ったとき、試練は神様からの訓練なのですから、神様を恨んだり嘆いたりするのは愚かなことです。むしろ、忍耐しながら祈り、感謝を積極的に数えるべきです。試練の終わりは、全く予測できませんが、でも必ず終わりはあります。だから、終わるまで忍耐し、祈り、感謝するべきです。

そして、徹底的に悔改めることです。自分を省み、欠点に気づき、なおそうと努力するべきです。「自分」に基準を置くのではなく、「神様」に基準を置き、聖書のみことばで自分の内部を見つめ、厳しく峻別し、自分の中の無駄な部分を剪定していくのです。

自分が正しいと意地を張るのではなく、謙遜に、神に降伏して全てをゆだねることが最善の道なのです。

 

このように、試練には神様の素晴らしい計画があります。この真理を見逃してしまうと、人生はただ虚しいものとなるでしょう。

試練が大きいほど、祝福も大きいことを忘れてはなりません。

わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。(ローマ8:18)

神様は、私たちが耐えられない試練は与えられません。これは聖書の約束です。

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。(Tコリント10:13)

 

以上

 

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