「この世における礼拝」 2016.5.1
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。(ローマ12:1-2)
今日は、当教会の34回目の創立記念礼拝です。
ヨーロッパでも、日本でも、特に若い人たちが教会に来なくなっています。
このような現実において、当教会が34周年記念礼拝を捧げることができることは、また、この一年の間に二人の姉妹が洗礼を受けられたことは、まことに感謝であります。
ひとりひとりが、自分が洗礼を受けた日を思い出し、その感動を思い起こしつつ、喜びをもって創立記念礼拝を捧げましょう。
今日の聖書箇所は、私たちすべてに語りかけられた神の言葉です。
この箇所で重要なことばは、神の「あわれみ」であります。
あわれみと訳されている原語は、日本語では仏教でいう「慈悲の心」がもっとも近いと思います。
慈悲の心は、お母さんが子を愛するがゆえに母であることを自覚し、そのお母さんの心を感じるとき子どもの心が平安になるということです。
父なる神様は、イエスの十字架による無償のゆるしの慈悲をもって、罪人なる私たちを神の子としてくださいました。
このような神のあわれみの経験、慈悲の経験が少しもないなら、バプテスマ(洗礼)は単なるしるしや飾りにとどまってしまうのです。
今日、聖書はあわれみに基づいて「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」と勧めています。
この勧めにしたがい、神様のあわれみにより信仰が与えられた私たちは、夫たる自覚、妻たる自覚、親たる自覚をもち、慈悲の心を家族や隣人に対して実践するべきです。人を慰め、労わり、共に歩んでいくことに私たちの体を用いるべきです。
これは、神のあわれみから始まる新しい生き方です。
このような日常生活のあらゆる場において、自分の体をささげる信仰の業こそ、この世における礼拝なのです。
以上