「なぜ苦難が必要であるか」 2016.4.17

 

西洋のことわざに、「塹壕の中では無神論者はいない」とあります。銃弾が降り注ぐ戦場では、誰でも救い主である神を求めるようになるということです。

人間は、問題がないときには、神を求めません。しかし、自分の力では解決できない苦難を受けると、初めて超越者である神を真剣に捜し求めるようになります。

苦難は、神様の側から見れば、神が人間に向かって愛の手を広げ「私のところに帰ってきなさい」と放蕩息子を待っておられる愛の心なのです

だから、苦難が来た時に私たちがするべきは、神様を捜し求めることです。

悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。(詩篇50:15)

 

そして、苦難を明日への原動力とするべきです。

苦難を克服するために祈るとき、信仰が育ち、信仰の新しい次元へと導かれます。

そのように対処すれば、苦難が原動力となって、よりよい明日が創造されます。

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。(Uコリント4:17)

 

また、苦難は、私たちの自我を砕き、人格を整えるきっかけになります

石をノミで削ると美しい芸術作品がうまれるように、私たちの不必要な要素が削られれば、つらい苦しみののち、人格が美しく整えられ、柔和で感謝を数えることのできる人格に変えられます。

マザーテレサは、「人格は、この世の嵐と緊張の中で作られる」といいました。

聖書もこう語っています。わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今はみ言葉を守ります。(詩篇119:67)

苦難を、信仰を持って受け入れ、自分を精錬する機会にすべきです。

 

人生には苦難があります。

しかし、どんな苦しみが人生に降りかかっても、復活の主イエスがともにいてくださいます。

神はイエスと共に私たちもよみがえらせてくださいます。だから、私たちは落胆しないと、聖書は語っています。

それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。

すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。(Uコリント4:14-18)

 

苦難は楽しいものではありません。苦しむことのない人生、良いことばかりある人生を人々は願います。

しかし、苦難の中で涙を持って種をまく者には、必ず豊かな実りの収穫が与えられると聖書は約束しています。

涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。(詩篇126:5-6)

 

以上

 

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