「涙が変わり喜びとなった日」 2016.3.2

 

イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。(ヨハネ20:29

 

1.イースターは、すべての涙を拭い去ってくださった日です。

私たちは、しばしば自己否定におちいります。自分の弱さ、みにくさに耐えられないときがあります。

実は私もそうです。自分の愚かさで生きていくことが嫌になったこともあります。

しかし、今日は喜ぼうではありませんか。復活の主につながり、立ち上がろうではありませんか。

イエスがゴルゴダの丘に向かったとき、女たちは涙してついていきました。多くの弟子たちが十字架の前で涙を流しました。マグダラのマリヤも泣いていました。

しかし、イエスが復活してその姿を見せたとき、彼らの涙は笑いにかわり、嘆きは喜びの歌となりました。

主はわたしたちの涙を拭い去り、誰も奪うことのできない平安と喜びを与えてくださいます。

このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。(ヨハネ16:22

 

3.イースターは、霊的復活の日です。

私たちは、罪によって霊的に死んでいた者ですが、神様の恵みにより、霊的によみがえらされたのです。

さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。

また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。

しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――(エペソ2:1-5

 

2.イースターは、完全な勝利の日です。

キリストは死に対して勝利し、死の向こう側に命があることを見せてくださいました。

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」(Tコリント15:55

アダムの罪によって私たち人類に死が入り、キリストの復活によって私たちは死に勝利し、霊と肉体の復活の恵みにあずかるのです。

もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。

そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。

それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。

アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。(Tコリント15:17-22

 

以上

 

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