「宗教か愛か」 2012.2.19
イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。(ルカによる福音書10:30-37)
1.愛の実践のない信仰は、堕落した信仰
今日の聖書箇所は、イエスが話された有名な「よきサマリヤ人のたとえ」です。話の前半に登場する「祭司」は宗教的儀式に非常に熱心な宗教家、「レビ人」は祭司のもとで神殿の奉仕のつとめをする者です。彼らは、そのような立場でありながら、強盗に襲われ半殺しにされた人を避けて通り過ぎて行きました。
一方、この当時「サマリヤ人」は人々から見下され社会的にも恵まれていない人たちでしたが、このサマリヤ人は怪我人に近寄り、手厚く介抱し、宿代まで支払って行きました。
教会に通い、礼拝と賛美と感謝を捧げる生活をしているとしても、愛を実践しなければ、あなたは「祭司」や「レビ人」と同じです。あなたの夫、妻、子、また隣人が、あなたの助けを必要としているのに、そのことに無関心であり、愛を施すことを忘れ、教会に通っていれば問題ないと考えているとすれば、それは堕落した信仰です。しかし、このサマリヤ人のような愛を実践するならば、あなたは神が人生を祝福へと導いてくださることを体験するでしょう。なぜなら、神は愛だからです。
2.人に愛を実践すると、あなたに喜びが来る
もし、あなたが「人生は虚しい、信仰があってもやはり虚しい」と嘆いているならば、そして「溢れる信仰の喜びを味わいたい」と願っているならば、あなたは多くの愛を隣り人に分け与えるべきです。そうすれば、あなたは人に愛され、人から必要とされる「世の光、地の塩」(マタイ5:13-14)の役割をこの地上で果たすことができるでしょう。
愛のあるところには希望があり、希望があるところに喜びがあります。クリスチャンでも「心に喜びがない」と嘆く人がいるのは、心からゆるし、愛をもって接しないからです。主があなたをゆるし、愛されたように、あなたの愛を相手にあらわしましょう。夫が妻を、妻が夫を、親が子を、子が親を愛するとき、その家庭に喜びが訪れます。神を愛し、隣人を愛し、助け、親切にするとき、神が喜びを与えてくださるからです。聖書は愛についてこう教えます。「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」(Tコリント13:13) 祈るとき、自分の祝福のみを願い求めていませんか。隣人に無関心だったことを悔い改め、成熟した人格を持つキリスト者になるべきです。
3.愛の実践方法
愛の実践と聞いて当惑する方がおられるでしょう。それは、愛するということを特別なこと、例えばマザー・テレサのような立派な行いをすることだと考えるため、私にはそこまでできないと感じてしまうのです。しかし、イエスは自分ができる範囲のことを実践すればよいと教えています。このサマリヤ人を見てください。彼は自分の持っていたもので愛の施しをしています。あなたの愛の手ひとつが神の奇跡を起こすのです。なぜなら、神は愛だからです。
私たちが持っているものとは何でしょうか。私たちはキリストの救いを持っています。恵みのみことばを持っています。まず私たちがなすべき愛の実践は、これらを隣人に分け与え、祝福し、親切にすることです。隣人に無関心であってはなりません。隣人の叫びを無視する教会は、神の栄光から引き離されるでしょう。
「たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。」(Tコリント13:1-3)
愛がなければ、人生は虚しく終わるのです。
以上