「永遠の喜び」 2010.10.31
私は、人間存在の根幹は「喜び」であると思います。喜びは明日への原動力になります。逆境を克服し前進することができます。喜びがなければ心の平安を失い、思いわずらいが精神をむしばむようになります。
イエスでさえ、十字架にかかるために喜びが必要でした。
「彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」(ヘブル書12:2)
それは山の上で神の栄光につつまれ、光かがやく変貌の体験により得られた喜びでした。
ですから、永遠の喜びを発見することは、人生の根源的課題といえます。
喜びのない人生は、どんなよい家に住んでいても墓の中にいるのと同じです。生命の光を輝かすには、心に喜びを得ることが不可欠です。
富、栄華、地位など、この世が与える喜びは瞬間的です。これらの喜びは、その大きさに比例してむなしさも味わいます。
この世の全てを手にしたソロモン王でさえ「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。」(伝道の書1:2)と、人生のむなしさを吐露しています。
それでは、誰も奪うことのできない永遠の喜びは、どのようにすれば得られるでしょうか。
そのためには、キリストを受け入れ、神の子どもとして新しく生まれ変わることが必要です。これを「新生」といいます。
新生した人は、次の三つの方法を通して永遠の喜びを手にすることができます。
1.聖霊充満
聖霊が内側に充満すると深い喜びが得られます。愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制といった聖霊の実(ガラテヤ5:22)を結ぶことができます。
そして、いかなる逆境にも耐える力と決断力が与えられて、常に勝利することができます。
2.みことばを受け入れる
昨日信じたことが、今日うらぎられる。私たちはそんな世に生きています。安定した土台はありません。
しかし主は「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。(マタイ24:35)」といわれます。
みことばを深く受け入れて、人生の土台とするとき、揺れ動くことのない信仰が、神の恵みの中で、私たちの人生に変化を与えてくれます。
また、みことばを通して、神がいかに私たちを愛しておられる良き神様であるかを知ることができます。
神は愛する独り子イエスを十字架にかけ、代価を払って私たちを罪の中から救い出して下さいました。私たちの神様は、よき神様です。逆境の中でも、神のみことばに信頼してすすめば、喜びと楽しみをもって前進できます。
3.死を喜びとして受け入れる
私はこれまでに、多くの死にゆく人に出会いました。そして、信仰のない人は最後まで戦うことを目のあたりにしてきました。なぜ私は死ななければならないのかと、自分の死を彼らは認めようとしませんでした。
健康な人も、心のどこかに死の不安を抱えています。だから死なないうちに、食べ、飲もうと懸命になっています。
死に対する解決のない人には真の喜びはありません。反対に、死を喜びとして受け入れられる人は永遠の喜びを得た人です。
復活したイエスはこう言われました。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」(ヨハネによる福音書14:1〜4)
このようにイエスは、天の御国に私たちのすまいを用意すると約束して下さいました。死は、肉の重荷を脱ぎ捨てて、内なる人が永遠の世界に入る栄光の扉です。新しい体験の瞬間です。死を通して、涙も嘆きもない、キリストによって新しくされた新しい次元の人生が与えられます。
イエスを信じる者は、イエスが復活したように、復活の恵みにあずかることができます。
「もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。」(ローマ人への手紙6:5)
この真実を受け入れた人は、どこにいてもその人のおる場所が神の国となります。人生を旅人として過ごし、永遠の御国に帰るという目標がはっきりしているので、一喜一憂することなく、いつも喜びがあふれます。
愛するみなさん、胸に手を置いて、自分は不安のとりこになっていないか、それとも永遠の喜びを所有しているか吟味しましょう。
喜びは、いかなる世界も征服できます。喜びをもって生きるとき、希望がうまれ、力があふれます。また、人に親切にすることができます。聖霊の実である愛を分け与えることができます。
全ての兄弟姉妹がこの喜びを所有することができるように、イエスの名によって祝福します。
以上