「みこころが地にも行われるように」 2010.9.26

 

イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。

いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。

そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。

そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。

そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。

祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって言われた、

「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。(ルカによる福音書22:39〜46)

イエスは十字架にかかる前に、オリブ山で父なる神に祈りを捧げました。イエスは、「杯(さかずき)」をとりのけてくださるようにと祈られました。

この杯とは、神の怒りの杯のことです。イエスは、罪のない方であるにもかかわらず、全ての民の罪を一身に背負わされ、神に捨てられるという苦い杯を飲み干さなければなりませんでした。

常に父なる神とともにおられたイエスにとって、この耐え難い苦しみを、取り除けてくださいと祈りつつも、しかし、イエスは「わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と父なる神の御旨に従順されたのでした。

信仰とは都合のよいときだけ神の名を呼ぶことではありません。神に従順し、神にゆだねて生きることが信仰です。

神の助けはそこに働くのです。それこそが本当の神への信頼であり、ゆるぎない神への期待なのです。 

しかし、このような真の信仰には戦いと決断が伴います。

 

1.自我との戦い

信じるためには、自我(エゴ)がくだかれなければなりません。神のみこころに従うか従わないかという自分との戦いがあるのです。

人は自分がかわいいものです。また、自分には無限の可能性があると錯覚しています。楽な道を選ぼうとするのも自我の働きです。

信仰の道を歩むためには自我は死ぬほかありません。イエスの生涯は、父のみこころが地上でも行われることを祈る生涯でした。

それは、苦い杯を飲むことで神の栄光があらわれるなら、杯を取り除けるのでははく、それを飲み干す力を与えて下さいと祈ることを選択する生き方でした。これは神への徹底的な従順です。

その結果、十字架による全人類の救済の道が開かれ、罪と死に対し勝利することができました。自我がくだかれ、神に従順することが、最終的な勝利へとつながるのです。

 

2.悪魔との戦い

わたしたちの戦いは、人間同士の戦いや争いではありません。

「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである」(エペソ6:11〜12)

人間をとらえ、失敗させ、病を得させ、滅ぼそうとする見えない敵を、世の人は知りません。教会も多くは語ろうとしません。

しかし、その存在を疑わせることこそ人間の世界を支配している悪魔の戦略であることを知らなければなりません。

そして、この霊的な戦いについては、決して不用意であってはなりません。神の武具を身につけて、あらゆる攻撃に対処することが必要です。

「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。

また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」(エペソ6:13〜18) 

キリスト者の武装とは、内面の充実です。そうすれば、悪魔のつけいるスキはありません。

祈りとは戦うことです。この祈りが真剣になされるところには神の霊が働きます。

祈りとは人生そのものです。祈りがないということは人生に中身がない、からっぽの人生であると言ってよいでしょう。

正しい祈りの時間をもつことで、その人の人生はいきいきとしたものになります。祈りが絶えない人生の中には聖霊の助けが充満し、生きる目的と使命が明確にされ、目標に向かって前進し、勝利に導かれます。

敵は目に見えません。終わりの時代に多くの人の心に入り込んで、そのたましいを滅びに陥れようとしています。いま、信仰に立ち返り、十字架の旗のもとでひざをかがめて神に祈ることによって、この戦いに完全に勝利しましょう。

 

以上

 

「交野ベタニヤ教会」ホームへ

 

1 1