「信仰があるかどうか」  2010.3.21

 

何をもって「信仰がある」といえるでしょうか。

信仰があるとは、イエスが自分の内におられるということであると思います。

「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。

しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。」(ガラテヤ人への手紙2:20)

イエスが内におられるというのは、自分だけで生きるという生き方から、イエスが私を動かし支配している状態をいいます。

イエスを信じることで、自我の独走が妨げられ別の方向へ引っ張る力との緊張関係が内側に生じます。

自分の中に新しい動機もしくは原動力がはたらきはじめることを発見します。聖霊の導きということと同じです。

それは自分がしようとする方向に逆らうかのように、愛をあらわす行動や、自ら身を引くといった行動にでるといった複雑な心の動きとなってあらわれることもあります。

ただし、その場合、すべてが聖霊の導きかというと、悪霊が働く場合もありますから注意が必要です。

その区別は、聖書にしるされている神の性質・方向と同じかどうかで判別できます。

人をあわれみ、いつくしみ、いたわる思いが力強くはたらいているなら、聖霊の働きです。

目の前に大きな山のような問題があっても、心の中が平安、よろこびに満ちて進めるなら、聖霊の導きです。

自分には信仰があるだろうかと思っておられるならば、イエスが言われた次のみことばを思い起こしましょう。

するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。

よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。

このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。(マタイ17:20)

信仰の貧しさ、愛の足りなさを思い知らされるとき、失望してはなりません。

からし種ひとつぶほどの信仰からの祈りを、神様はかえりみてくださいます。

 

「交野ベタニヤ教会」ホームへ

 

 

 

 

1 1