「捕囚の民への手紙」 2010.3.14
イスラエルはひとつの国でしたが北と南に分裂し、紀元前722年、北王国イスラエルはアッシリア帝国に滅ぼされました。
そして、南王国ユダは紀元前586年にバビロニア王国に征服され、多くの民がバビロンに連行されました。
これがバビロン捕囚であります。捕囚を免れた預言者エレミヤは、捕囚の民に手紙を書きました。
今日はその内容を見ていきたいと思います。
まず、エレミヤは「万軍の主、イスラエルの神は、すべて捕え移された者、すなわち、わたしがエルサレムから、バビロンに捕え移させた者に、こう言う、あなたがたは家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。
妻をめとって、むすこ娘を産み、また、そのむすこに嫁をめとり、娘をとつがせて、むすこ娘を産むようにせよ。
その所であなたがたの数を増し、減ってはならない。」(エレミヤ書29:4-6)と記しています。
祖国が滅ぼされ、遠い異国の地で奴隷のように生活している民に対し、あえてエレミヤは腰を落ち着かせて畑をたがやし、家庭を築き、子を産み育てよと言っています。
次に、エレミヤは「わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。
その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。」(29:7)と記しています。
彼は敵国であり征服者であるバビロンの町のために祈れと言っています。
どうしてエレミヤは、捕囚の地で腰を落ち着かせて生活し、その地のために祈れと言ったのでしょうか。
それは、この捕囚は、神がイスラエルの民の不信仰をこらしめるために行われた神のみわざであるという確信があったからです。
たとえ苦しくとも、神が与えられたこの境遇を真剣に受け止めて生活することが、やがて解放につながる唯一の道であると信じていたのです。
エレミヤは「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。
それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」(29:11)と記しています。
つまり、いま囚われているのは神のご計画であり、神が平安と将来と希望を与えようとするものであると言っているのです。
そして、逆境の中にあるけれども、あなたがたは決して神に捨てられたのではない、神に祈るなら
「わたしはあなたがたの祈を聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。
もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。」(29:12-14)
と民を励ましています。
今日の聖書箇所は、自分の境遇や苦難をどう受け止め対処するべきか、という問題に適用することができます。
今の時代、現実の上にじっくり腰を落ち着かせていない人が少なくありません。
家族との関係、仕事、学校生活などに満足できず、「環境がこうあってくれれば」「相手がこうしてくれれば」今のような状態ではなかっただろう、もしそうなら自分はもっと自分らしい良い生き方ができるのにと思う人が増えていると思います。
彼らは目の前のことに取り組まないで、違う生活を待っています。
そういう時こそ、エレミヤの言葉に聞き従うべきです。
好ましくない境遇や仕事をいやがり、中途半端にするのではなく、これは神から与えられたものであると受け止めて、本腰を入れて真剣に取り組もうではありませんか。
神はあなたを忘れていません。神は、一人ひとりに計画をたてておられ、それを信じて歩みぬく者に対し、将来と希望を用意しておられます。