「霊的な礼拝」 2010.2.14
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。
それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。(ローマ人への手紙12:1)
私たちは、日曜日ごとに教会に集まり礼拝を捧げています。
礼拝の目的は何か、ということについて考えたことがあるでしょうか。何も考えずただ当たり前のように来ているか、出席することが目的になっていないでしょうか。
礼拝の目的は、神と交わることです。
人間は、肉体の内側に心(たましい)を持ち、さらにその内側には霊と呼ばれる領域があると聖書に記されています。
心(たましい)は意志や感情をつかさどる領域であり、霊は神と交わりをつかさどる領域です。
つまり、霊的な礼拝とは、実存する神と交わる礼拝のことであり、私たちはこれを真剣な問題としてとらえなければなりません。
では、どうすれば神と交わる礼拝をささげることができるでしょうか。
人間は、もともと神と直接的な交わりをもつ存在として造られました。しかし、初めの人アダムが罪をおかしたために、神との関係が断絶してしまいました。その子孫である私たちもまた、罪によって神との関係が断たれています。
したがって、罪のゆるしをいただくことができれば、神との交わりが可能となります。
神がイエス・キリストによって自らを啓示し、このイエスを信じる信仰によって、わたしたちの罪はゆるされ、神との関係を回復します。
イエス・キリストこそが神との交わりの根拠であり根源なのです。
では、神と交わる礼拝の具体的な内容を見てみることにしましょう。
霊的な礼拝は、2つの方向性を持っています。
ひとつは聖書朗読や説教といった神の側からの語りかけであり、もうひとつは祈り、賛美、献金などの私たちの側からの応答であります。
ですから、説教を聴くことだけが礼拝ではありません。これらの全てが礼拝を成立させる要素であり条件であります。
私たちは、これらの礼拝の要素ひとつひとつを真心から捧げなければなりません。そして、神に信頼し、従順し、期待することが、礼拝を単なる人間の集まりにせず、まことの礼拝にする姿勢であります。
最後に、ここまで教会(礼拝堂)でささげる礼拝についてお話しましたが、実は、これだけが礼拝ではないということを強調したいと思います。
つまり、神との霊的な交わりを持つことができるなら、日常生活のすべてが神に喜ばれる礼拝となります。
家庭が、職場が、学校が、あなたのいる場所のすべてが礼拝の場になります。
そこに、神への信頼と従順と期待とが、心の中ではっきりと生きて働いているなら、仕事が、家事が、勉学が、あなたのわざの全てが礼拝となります。
そのような場所こそが神の住まわれるところであり、あなたはその場所で神からの力強い励ましと慰めが与えられるでしょう。