「信仰生活の根本」 2010.1.3
信仰生活とは、一言で言うと「神とつながる生活」です。その人が謹厳であるかどうか、あるいは立派であるかどうかとは無関係です。
神とつながる生活とは、「キリストを通して神との交わりをもつ生活」であり、神との交わりとは「神との人格的な関係」であります。
これが信仰生活の根本であり、このことをはっきりさせておくことは非常に重要です。
神との交わりといっても、神の御声を直接的に聞くことではありません。
まれに、そのような体験をされる方もいますが、それは特別な場合であって、通常は、主イエス・キリストを認め、受け入れるという決断によって成立します。
しかし、キリストを人間の一人として認めるだけでは、神との交わりに入ることはできません。
キリストは、神ご自身が人の形をとってこの地上に来られ、十字架につけられ、死んだ後、復活された方であることを知らなければなりません。
それとも、あなたがたは知らないのか。
キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。
それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。(ローマ人への手紙6:3-5)
キリストが私たちの罪を身に負って、そののろいを取り除き、死に打ち勝って復活されたという事実を知り、信じるとき、私たちの運命は変えられます。
そして私たちに新しい命を与えてくださった主が、輝く明けの明星のように、光の中で私たちを守ってくださいます。
死の恐怖も、病への恐れも、その背後にある正体を認識した上で、「死よ、お前は2000年前にイエスの十字架によって征服された、イエスの名によって命じる、私の人生から立ち去りなさい!」と宣言できるのであります。
わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。
なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。(ローマ人への手紙6:6-11)
私たちの神は、よき神様であります。私たちが豊かなよい人生を歩むことを、勝利の人生を生きることを願っておられます。
このことを固く信ずることによって、神との信仰的な関係に導かれます。
新しい年を、神はよいお方であるというイメージをもって出発しましょう。神が備えてくださったすべてのよきものにあずかる一年となりますように。